講談社文庫「東洲斎写楽はもういない」1993年第1刷発行
ちょっと買い物があって、遠い駅まで歩いて行く途中の交差点で信号待ちをしていた時、道路の向こう側にある古本屋の看板を何気なく見ました。
「つたや書店」。アルファベット文字表記の大手書店ではありません。
その交差点を通っても、いままで気にも留めなかった書店名も、今の私にとっては何か因縁めいたものを感じて、立ち寄ることにしました。
店先には、超廉価本30~300円の棚が価格で3段階に分けられたラックにぶち込んであります。文庫、ハードカバーから美術カタログ、雑誌類まで雑多な中から掘り出し物でもあらんかと、ざっと背表紙に目を走らせ…と私の目は走らないうちに止まってしまいました。視線の先には「東洲斎写楽」の文字が。
こんなところに写楽本が。著者は聞いた事もない名前で、紹介がどこにもされていないし、さわりを読んだら何だかいかがわしそうな感じだったので、どうせ面白おかしく書いてある本だろうと思ってラックに戻しました。
イースター島の謎とかムー大陸の謎とか、ミステリー本を選ぶときはその著者がどういう人物であるかということが、私にとっては重要です。
どこかの雑誌記者とかフリーのライターとか、とにかく原稿料欲しさに売れる本を書くためにセンセーショナルに書き立てて終わっている無責任な本が数多く存在するからです。これらは都市伝説とおんなじで、根も葉もない虚構が実像化され、それによって真実が捻じ曲げられてしまい、遂にはまことしやかに現実として受け容れられてしまう可能性が懸念されます。徳川埋蔵金のように笑って終わるものなら罪はないでしょうが。
さて、私の見つけた「東洲斎写楽はもういない」という文庫本。写楽の謎解き本な訳ですが、共同執筆で挙げられている人物の紹介がない上、1人は匿名です。
本の中で2人の身分・職業が推測できるような記述がありはしますが、匿名の人物は正体を明かしたくないという希望があり最後まで謎です。ただ、両人が正式な学者や作家でないことは確かなようでした。果たしてこんな本を読んだところで、どうなるんだろうか?
やっぱやめよう。
と帰りかけたが、ふと、この書店の「つたや」とそこでたまたま見つけた「写楽本」、なんか蔦屋重三郎が私に語りかけてるみたいな気がして(実際写楽関係なので蔦重や十返舎一九の事も書いてある)、再度手に取りました。
裏表紙の上に鉛筆書きで「80」。80円なら ま、いいか。
帰りの電車の中で読み始めたら、ちゃんと史料を調べて裏づけをとってから書いてあることがわかりました。「○×先生の△△という著書に□□と出ていました」というものではなく、国会図書館で蔵書を直に読み調べて事実関係に迫ったものでした。そしてその蔵書自体に事実でない事や誤りがある、ということも書かれてありました。成程、なかなか真摯です。
気をよくして帰宅後、就寝前に読み始めました。
それでも、著者のことが気になり、「あとがき」とか「解説」とかに書いてあるかもと思って後ろのページをめくりました。
そこで私はショックを受けました。
長い「あとがき」の途中のページをめくったら、次のページと文章が繋がらないのです。ページが破損してるのか?とページ数を見ても続きページになっています。
そしてまた数枚めくると前の内容の文章になっているのです。
そう、その本は「乱丁本」だったのです。
本文は大丈夫かどうかまだ解りませんが、「乱丁本」が古本屋にあるなんて珍しいと思いました。だって、買った人は出版社に送れば正本を送り返してくれる訳だし。そういう手間が面倒だったのか、そこまで読まなかったのか:笑。
とりあえず落丁でなければいいのですが。
なんだが、蔦重にからかわれた感じがして、頭の上が気になります。
ちょっと買い物があって、遠い駅まで歩いて行く途中の交差点で信号待ちをしていた時、道路の向こう側にある古本屋の看板を何気なく見ました。
「つたや書店」。アルファベット文字表記の大手書店ではありません。
その交差点を通っても、いままで気にも留めなかった書店名も、今の私にとっては何か因縁めいたものを感じて、立ち寄ることにしました。
店先には、超廉価本30~300円の棚が価格で3段階に分けられたラックにぶち込んであります。文庫、ハードカバーから美術カタログ、雑誌類まで雑多な中から掘り出し物でもあらんかと、ざっと背表紙に目を走らせ…と私の目は走らないうちに止まってしまいました。視線の先には「東洲斎写楽」の文字が。
こんなところに写楽本が。著者は聞いた事もない名前で、紹介がどこにもされていないし、さわりを読んだら何だかいかがわしそうな感じだったので、どうせ面白おかしく書いてある本だろうと思ってラックに戻しました。
イースター島の謎とかムー大陸の謎とか、ミステリー本を選ぶときはその著者がどういう人物であるかということが、私にとっては重要です。
どこかの雑誌記者とかフリーのライターとか、とにかく原稿料欲しさに売れる本を書くためにセンセーショナルに書き立てて終わっている無責任な本が数多く存在するからです。これらは都市伝説とおんなじで、根も葉もない虚構が実像化され、それによって真実が捻じ曲げられてしまい、遂にはまことしやかに現実として受け容れられてしまう可能性が懸念されます。徳川埋蔵金のように笑って終わるものなら罪はないでしょうが。
さて、私の見つけた「東洲斎写楽はもういない」という文庫本。写楽の謎解き本な訳ですが、共同執筆で挙げられている人物の紹介がない上、1人は匿名です。
本の中で2人の身分・職業が推測できるような記述がありはしますが、匿名の人物は正体を明かしたくないという希望があり最後まで謎です。ただ、両人が正式な学者や作家でないことは確かなようでした。果たしてこんな本を読んだところで、どうなるんだろうか?
やっぱやめよう。
と帰りかけたが、ふと、この書店の「つたや」とそこでたまたま見つけた「写楽本」、なんか蔦屋重三郎が私に語りかけてるみたいな気がして(実際写楽関係なので蔦重や十返舎一九の事も書いてある)、再度手に取りました。
裏表紙の上に鉛筆書きで「80」。80円なら ま、いいか。
帰りの電車の中で読み始めたら、ちゃんと史料を調べて裏づけをとってから書いてあることがわかりました。「○×先生の△△という著書に□□と出ていました」というものではなく、国会図書館で蔵書を直に読み調べて事実関係に迫ったものでした。そしてその蔵書自体に事実でない事や誤りがある、ということも書かれてありました。成程、なかなか真摯です。
気をよくして帰宅後、就寝前に読み始めました。
それでも、著者のことが気になり、「あとがき」とか「解説」とかに書いてあるかもと思って後ろのページをめくりました。
そこで私はショックを受けました。
長い「あとがき」の途中のページをめくったら、次のページと文章が繋がらないのです。ページが破損してるのか?とページ数を見ても続きページになっています。
そしてまた数枚めくると前の内容の文章になっているのです。
そう、その本は「乱丁本」だったのです。
本文は大丈夫かどうかまだ解りませんが、「乱丁本」が古本屋にあるなんて珍しいと思いました。だって、買った人は出版社に送れば正本を送り返してくれる訳だし。そういう手間が面倒だったのか、そこまで読まなかったのか:笑。
とりあえず落丁でなければいいのですが。
なんだが、蔦重にからかわれた感じがして、頭の上が気になります。