昨日、奈良市に住む甥っ子が、約20日間のバイク旅からの帰途、わが家に立ち寄った。
真っ黒に日焼けして、手の甲はヤケド状態だ。長袖と手袋で覆われない部分が日焼けしているのだ。
リュックを背にした何処の登山者か、はたまた浮浪者か・・・と思うほどの容貌だ。
勤めている会社に1ケ月の休みを貰って、8月4日に自宅を出発。10日目に本州の東側を周ってきて、一端自宅に戻り、その後、昨日まで西側と四国を周り、帰ってきたのだ。
四国・徳島からフェリーに乗り、朝方に和歌山に着き、午前11時頃わが家に到着。
気が緩んだのか、休憩・昼食のあと夕方まで漠睡・・・・。声を掛けて起こしても、返事すれど起きる気配なし。よほど、安心したのだろう。一度に疲れが出て、ダウンしたのだろう。
中古の50ccホンダ・スーパーカブに、寝袋と着替えを積んでの一人旅。
国道1号を東へ進み、1日目は静岡まで行ったとか。
20日間のうち、3日間は友達宅で休養。従って実質17日間で、奈良-静岡-東京-宮城-青森-山形-新潟-岐阜-奈良。一端自宅に戻り、奈良-兵庫-鳥取-島根-山口-広島-愛媛-徳島-和歌山-奈良と廻ったことになる。
全走行距離4,000km。単純計算して1日、平均235km走ったことになる。1日16時間ほどは乗っていたとか・・・。
新潟県村上市から奈良まで18時間ぶっ通しで走ったことが最高の走行距離だとか。
国道中心に走ったそうだが、上り坂になると時速20kmほどになるため、なかなか進まなかったとか。
この期間中は雨天が多く、景色を楽しむどころではなかったようだ。それでも、青森の峠での、綺麗な森と雲海の中の走行、そして、箱根の坂道が印象的だったそうだ。
恐い思い出としては、国道走行中のトラックの追い抜き。身体スレスレのところを追い抜かれヒヤッとすることが何度かあったとか。
楽しい思い出も多かった。奈良ナンバーを見て、こんな遠くまで・・・と驚かれることは頻繁で・・・同じような格好でサイクリングしている人ともメール交換して友達になったとか。
アチコチの「道の駅」で休んでいると、コーヒーなどを奢ってくれる人も多かったとか。
宿は「道の駅」にあるベンチ。東北では、降雪や吹雪のため扉がついていて蚊などが防げる。しかし、西日本では、扉なし。これにはマイッタとか。
風呂は「道の駅」には大抵あって、50円や100円で入れたとか。まあ、その点では清潔なライダーなのだ。
もちろん、公園などで野宿も・・・でも熟睡はできなかったとか。
毎日、同じ姿勢で運転していると、腰・首に痛みを覚え、ダウンしかけたこともあったという。
夜間に走れば暑くはないが、周りの景色が楽しめない。かといって、昼間の長時間走行は、かなり目が疲れる。絶えず景色が後ろに飛ばされるため、車から降りると目がクルクル廻り、ジッと立っていることが出来ないという。身体に違和感を覚えたのもこの頃だったとか。
青森から函館行きのフェリーに乗られず、北海道に渡ることができずにUターンしたそうだが、北海道一周もしたかったという。
人情味があったのは、東北の人達。優しい言葉を掛けてもらったり、差し入れを受けたり・・・とか。その点、西日本では言葉さえ掛けて貰えなかったとか。
全国の主な地に友達が居て、それらを訪ねるのも今回の目的らしい。もちろん、鳥取の祖母に逢いに行くことも・・・。20歳過ぎの若さゆえに出来る冒険だろう。
彼の人懐っこい性格、物怖じしない性格が、一気に本州縦断へと走らせたのだろう。
腰と背中が痛い、ネコ背になったような気もする、という。
一日一日の出来事は、しっかり覚えているという。写真も撮った。でも忘れないうちに、記録しておいたほうがいいよ、というのが精一杯のアドバイス。
なにはともあれ、無事に帰ってくれてホッとするところだが・・・当分は、単車に乗りたくないといっていたが・・・さて、いつまた、スタートするかわからない。
貴重な体験は、彼のこれからの生き方にプラスとなるように祈りたい。
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