スターアニスの 『大和路 里の光彩』

アーカイブ中心の風景写真、趣味の書・刻字など・・いろいろと楽しんでおります。

ブログ顔、いろいろ変えて、もと通り

2006-09-24 07:26:19 | 出来事

18日頃からブログのデザインプレートを変えたのだが、どうも文字の大きさ指定が出来ない。行間も詰まって読みづらい。私だけの症状なのだろうか? 他のメンバーの方のブログを見ても、バランスよく綺麗に表示されている。

気に入ったプレートだけが不都合で、他のものは問題ないのである。
何故なんだろう? 何もさわってないから、不思議である。

サービスセンターに問い合わせたが、お気に入りのデザインテンプレート(10個から)を選択し、更に個別にプログラム編集が可能とのこと。
で、あるが、素人には無理だからご辛抱いただきたいとのこと。みなさん、かなりのプログラム知識を駆使されているのだろうな。

1週間使ったテンプレートは気に入っていたのだが、止む無く元のプレートに戻すことに・・・。

慣れ親しんだこのブログ。もう暫くはこのままで続けたいと思います。


長谷寺・彼岸講世話人のお仕事とは・・・

2006-09-22 22:27:41 | 出来事

「どこに配属されるか・・・不安。まるで新入社員なのだ!」

今日、初めて「彼岸講世話人」としてのお手伝いをさせて頂いた。
奈良県下を中心とする45名の世話人の内、本日お手伝いに来られている方は男性5名、女性5名。世話人の数も、お手伝いの数も年々減少しているという。

お手伝いの仕事は、女性は炊事場係と講金を持参された世話人への湯茶の接待。男性は持参された講金・お供物の管理、塔婆書きなどを行うという。

長谷寺の「輪マーク」と「彼岸講」の刺繍が入った法被を購入し、袈裟と数珠を身につけ講長の説明・指導を受けた。

早速、仕事開始。
講長の後について、説明を聞きながら400段の登廊をフウフウ言いながら本堂にある「塔婆受付所」に向かった。
受付所では、一般参拝者からの塔婆を受付け、既にお坊さんによる梵字が書かれた塔婆に、戒名又は俗名を、裏面にはお供え者の名前を毛筆で書き加えるのである。本堂右側の方にも、お寺(僧侶)による同様の「塔婆受付所」もある。
手前が「彼岸講の塔婆受付所」。奥に参拝者がいるところが「寺の塔婆受付所」。

本堂の手前の入り口天井には、歴代の「講世話人名」が記された額が掛けられている。祖父の名前が大正2年度のところにあった。こんなところにあったとは・・・初めて知ったのである。明治・江戸時代にもあると思うのだが、先祖の名前は知らないので・・・。(情けない話・・・)
天井に掲げられた「講名簿」に祖父の名前もあった。
文化4年という「講の名簿」も。

「塔婆受付所」に座って、いよいよ受付開始。
講長は昔学校の「校長先生」であったためか、また経験を積まれてきたためか、いとも簡単にスラスラと書かれる。戒名の長さに合わせて文字の大きさ、配列の仕方を教えてもらう。

練習用にとわが家の先祖代々之霊と、親父の戒名を書かせてもらうことに・・・・。
紙に書くのとは異なる。綺麗に削ってあるのだが筆がすべらない。引っかかるように感じる。
「慣れれば、すぐ書けるようになるよ。」と、優しいお言葉。
長谷寺の名誉と威信に懸けて・・・と思えば思うほど、筆が引っかかる。プレッシャーかな?

どうにか、書き終えホッとした時、参拝者の列が出来ている。
「手伝って書いてくれるか!」
「いいえ、まだダメです。」とは、言えない。
記入用紙を手渡され、恐る恐る筆を持つ。参拝者の目が手元を見つめる。「あぁ・・・緊張・緊張!」
1枚目はなんとか書けた。2枚目、3枚目へと続く。
少し、文字配列の要領も掴めてきた。午前中は参拝者も少なく、書いたのは5枚だけ。やれやれ・・。

午後からは、講長が所用のため不在。なんと、一人で担当することに・・・。「そんなん、聞いてないょ~」と、言いたいところ。隣のお寺さん担当の塔婆受付けに回ってくれないかと、祈りたい気持ち。
他の男性は、講の事務所での講金の受付・管理で手一杯とか。本当かな、とは思うが、仕方ない。

幸いなことに、午後の参拝者も少なく「ラッキー」と叫びたいところ。

「ブログ仲間」のハルさんとメロンさん夫婦が、ちょうどその頃来られた。ちょうどヒマだったので、色々な話を・・・。(ホントにヒマだった!)

3時過ぎに本堂から下りてくるように、との連絡にホッとする。いつもは、もっと忙しいとか。6枚書いて放免となった。明日は、かなり忙しいらしいが・・・、私は休み。まあ、最初のことでもあるし、この程度で良かった・・・。

講の事務所に戻ると、過去の「講」の成り立ち、経緯などの話をいろいろと聞かせて頂いた。いにしえの時代から続く、「彼岸講」の重さをズシリと感じる。

明日は、彼岸の中日。お稚児さんに参加してくれるのは一人だけという。ここ近年、少子化・核家族化で「お稚児さん」の申込みは激減しているとか。やはりここにも時代の流れが・・・。
私も兄弟も、そして私の子供達も「稚児さん」になった当時のことをフッと思い出した。

孫娘達には、来年秋には「稚児姿」を見せてもらいたいと思っている。さて、出てくれるかな?

400段の登廊を2往復しただけで、足が痛む。日頃の不摂生と体力の無さに愕然とする。

登廊で行き交う参拝者に、オジギをされる。なんとなく「長谷寺の関係者」になっている。こちらも、「よく、お参り下さいまして・・・」という言葉が自然に出てくる。なんと不思議なものである。
完全に「長谷寺の人」になってしまっている自分がいるのである。なぜか、すがすがしい気分になれたのは、事実である。

こんな気持ちを味わいに、来年の春にもお手伝いさせて貰うつもりである。
本堂から本坊を見下ろす。
礼堂と外舞台。


「彼岸講」世話人としてお手伝い

2006-09-21 21:57:44 | 出来事

「長谷寺・彼岸講世話人」って、何をするのだろうか?
初めて参加させて頂くのだが・・・。

わが家では、いつの時代からか不明だが先祖代々、真言宗豊山派の総本山「長谷寺」彼岸講の地元(居住する約300世帯の)世話人をさせて頂いている。

毎年、春と秋の彼岸の期間中の1週間を、講の世話人が長谷寺に集まり、お参りすると共にお寺のお手伝い、また各講からの講金を集め、お寺に寄進するのである。(多分そう思う?)

毎年、講長から「手伝いの参加要請」を受けていたのだが、昨年までは会社勤めゆえ、お手伝い出来なかった。
今年から、余裕が出来たため、あした1日だけ(?)、お手伝いすることとなった。

本当は、23日の中日(チュウニチ)は稚児行列があり、多忙だと思い希望日としていたのだが、明日22日が手伝い人不足のため、是非願いたい旨の連絡を受けた。

何しろ、初めてのお手伝い。何をするのか分からない。大先輩に教えを請うしかない。さて、何をするのだろう? この顛末は、後日ということで・・・。

<長谷寺とは>
西国三十三観音霊場第八番札所として、 全国に末寺三千余ヶ寺、 檀信徒はおよそ三百万人といわれ、 四季を通じ「花の御寺」として多くの人々の信仰をあつめています。春は「ぼたん・桜・さつき」、秋は「もみじ」が境内に咲き誇ります。お彼岸の期間中は「お参り」される信徒・観光客が多く、賑わいを見せます。
  ★長谷寺のご紹介--
 http://www.hasedera.or.jp/h2003/photo/index.html#top

<彼岸とは>春と秋の彼岸の中日(3月は春分の日)、(9月は秋分の日)のそれぞれの日を挟んで前後3日間の1週間を「彼岸」と言います。
彼岸とは、梵語のパーラミター(波羅密多)の漢訳「到彼岸」からきた言葉で、英語では Equanoctical week(夜と昼の長さが同じ週)という意味だそうです。


仏隆寺の彼岸花

2006-09-18 22:41:06 | 出来事

笠荒神からの帰途、奈良県宇陀市榛原区高井にある「仏隆寺」の彼岸花を見にいった。

この仏隆寺は、室生村に続く旧伊勢街道にあり、のどかな田園の山の上にある。石段は急で、両側には彼岸花が咲く。まだ五分咲きといったところ。ここも、写真を撮りにくる人が多い。

彼岸花の見頃は少し早い。

春の千年桜も有名だ。

一部は、もう満開だ!

階段の上からは、水車小屋が見える。

 ★ いつも訪問頂く「ハルさん」から、「仏龍寺」ではなく「仏隆寺」であ ると間違いを教えて頂きました。訂正しお詫び致します。

 ハルさん、ありがとうございました。/スターアニスより