スターアニスの 『大和路 里の光彩』

アーカイブ中心の風景写真、趣味の書・刻字など・・いろいろと楽しんでおります。

「炎(かぎろひ)」を見に「阿騎野」へ

2010-09-10 21:44:12 | 出来事


東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えて 反(かえり)見すれば月傾きぬ

--------東野炎立所見而反見為者月西渡------

東の「かぎろひ」のあけぼののほのかな光を軽皇子に見立て、西の地平線へ沈もうとしている光を軽皇子の父で27歳の若さで亡くなった草壁皇子(父 天武天皇、 母 持統天皇)に見立て、追慕しているのではとも言われてます。

歌の舞台である「阿騎野」は、ここに軽皇子の父、草壁皇子が、生前好んで狩にきたという追憶の地である。
柿本人麻呂にとっても草壁皇子を偲ぶ思い出深い所であったはず。

人麻呂はこの地で「草壁皇子の亡霊」を見たのではなかったか・・・・。
「かぎろひ」とは、かげろう、夜明け方の光。この光の中に草壁皇子の亡霊を見たのでは・・・。
・・・なんて、想像したくなります。

そんな「かぎろひ」・・・明け方の光を見たくて、「阿騎野」へ。
宇陀市大宇陀区本郷・・・枝垂れ桜の「又兵衛桜」で有名なところです。

行きつけのヘアーサロンの親戚が住まわれる自宅前から、この「かぎろい」が絶景だと聞き、早速、訪ねた。
午前4時半、起床。5時過ぎに到着の予定で車を飛ばす。
日の出は5時36分。
5時10分到着。既に稜線は赤く色づいている。
本当の「かぎろひ」の色は、もっと赤いはずだ。11月以降から12月にかけて多く見られるという。

まあ、今回は、下見を兼ねて・・・リハーサル撮影ということで・・・。


▲5:16 夜明け前・・・もっと赤くなればいいのですが・・・・。11月~12月にならなければホンモノの「かぎろひ」は見られないのかなぁ。


▲5:42  左の山の向こう側に日が昇りました。


▲6:13  逆光で撮りました。墨絵の世界です。雲海があれば、もっと神秘的になると思われます。
また、チャレンジします。
 

 


ホテイアオイ満開!・・・本薬師寺

2010-09-10 10:33:38 | 出来事


昨日、奈良県立橿原考古学研究所付属博物館で、我が地元の古墳などの遺跡調査資料を閲覧し、必要箇所のコピーをとっておりました。
そして、夕方のニュースで、明日香村にある国の史跡『牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)』が八角形であると確認され、斉明天皇陵であることが確定的になった・・・と報道された。

ちょうど、同じ年代頃の古墳資料を見てきたばかりで・・・ビックリ!
どうも、橿古研・博物館も落ち着きがなかったのは・・・そのせいだったのか・・・と後で感じるところがありました。






<上記は毎日新聞より転載>


八角形墳は舒明天皇陵にはじまり天武・持統陵などこの時代の天皇級古墳の特徴だとか。
この古墳に使われた石は総重量550トン。最も大きな石は80トンの1個の凝灰岩をくりぬいた横穴式石槨の約70トン。
これらの巨石は、二上山の西麓から運ばれてきたものらしい。
木製の大型ソリ・・・「修羅(しゅら)」に乗せられ、丸太のコロを敷きながら何百人もの人達が引っ張っている・・・そんな姿が想像できます。

まさに権力の象徴です。
明日・明後日は、現地説明会が催されるとか。何とか都合をつけて、行きたいと思っている。




さて、橿古研・博物館からの帰途、立ち寄った「本薬師寺跡」のホテイアオイは、見頃を迎えていました。
7月初旬訪ねた時は、<その時の様子>まだ咲きはじめで、例年のように一面に咲くのか心配していたのですが・・・・見事に咲きました。





 わすれ草わが紐に付く香具山の
    故りにし里を忘れむがため(万葉集 334)