スターアニスの 『大和路 里の光彩』

アーカイブ中心の風景写真、趣味の書・刻字など・・いろいろと楽しんでおります。

第一番札所は「世界遺産」

2007-06-21 12:31:51 | 西国三十三箇所めぐり

<1番札所  那智山 青岸渡寺(なちさん せいがんとじ)>


場所:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8

仁徳天皇の時代(4世紀)にインドから熊野灘に漂着した裸形上人が、那智山に籠もり那智の大滝にうたれ、その修行中に滝壺の中に黄金色の観音仏の出現を見たという。
上人は小堂を建て、この黄金の観音仏を祀ったのが当寺の創始とされている。

平安時代には法皇となった花山天皇が観音巡拝の中興となり、大滝の前で千日籠りに入ったのは988年のこと。

織田信長の兵火で焼失した堂宇は豊臣秀吉によって再建され、再び往時の賑わいを取り戻したのである。

那智の語源は「難地」といわれている。
観音が姿を変えた飛瀧権現として崇められてきたこの那智大滝のある「青岸渡寺」から西国三十三箇所の巡礼がスタートする。


同じ場所にお寺と神社が同居するのだ。従って看板表示もこのように・・・


450の石段の参道には土産物店が並んでいる。


本堂は天正18年(1590)に豊臣秀吉が再建したもので、桃山時代の特徴を色濃く残し、国の重要文化財に指定されている。
また、平成16年7月に、この霊場は高野・吉野と一緒に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されている。観光としてこられる方は、本堂に入っても帽子も取らずに参拝される方も・・・心の持ち方なのだが・・・。嘆かわしい。



「蟻の熊野詣」として全国から多くの参拝者がこの地を訪れた往時の様子が掲げられていた。


境内には「シャラノキ(ナツツバキ)」が咲いていた。 

400年ぶりに再建された「三重の宝塔」は、昭和47年(1972年)に完成したもの。2階と4階までエレベータで登ることが出来、正面に那智の滝と原生林が眺められた。


「三重の宝塔」の4階からは、遠く熊野灘が臨むことが出来るのだ。


 
三重の宝塔から大滝に向かう石段。この「鎌倉式石段」は史跡に指定されており、那智勝浦町指定文化財である。


大滝の向かう入り口にあった。


落差133メートル。さすがに雄大である。滝口が三筋になっているのが那智の滝の特徴とされている。


至る所に「世界遺産」の表示が・・・


青岸渡寺の本堂の西南側に隣接する「熊野那智大社」へ。参道は石段だ。

那智大社の境内にある、樹齢800年の樟の木。根幹部は空洞化。平重盛の手植えといわれている。


全国に約4000社あるといわれている熊野神社の本社である。



昨日は、日帰りで、1番札所の「那智勝浦・青岸渡寺」へ。
自宅から車で片道4時間。総走行距離は317km。
走行距離はさほどでもないが、何しろ奈良県の真ん中を真っ直ぐ南に向かって”ダム”(大滝・大迫・池原ダム)と”川”に沿って、山道を走るのである。

崖崩れで片道規制の169号線を時々止まりながらの走行。
行き交う車はダンプカー。積荷は小石や砂など・・・。狭い道路・トンネルでのすれ違いはヒヤヒヤものである。

熊野灘の海を見る頃になると、なんとなくホッとする。
「七里御浜」・・・7里、真っ直ぐな28キロメートルほどの海岸線を那智勝浦へ。

青岸渡寺からの帰路は、楽しみな寄り道。何箇所かの海産物センターで干物などを購入。クーラー持参で買出しの心意気充分なのだ。

オマケに、七里御浜の海岸に下りて「漬物石」をゲットした。
これも想い出の一つだ。

まだ、明るい陽がある中で、帰宅したのだ。

 一番大きいので20cmほど。熊野灘の海は少し荒く、石もすぐ丸くなるのだろう。本当は、那智の黒い石が欲しかったのだが・・・。残念ながら無かった。降りた浜が悪かったのだろうか?