スターアニスの 『大和路 里の光彩』

アーカイブ中心の風景写真、趣味の書・刻字など・・いろいろと楽しんでおります。

天つ風 雲の通ひ路吹きとじよ・・・

2007-06-03 10:25:06 | 西国三十三箇所めぐり

番外 華頂山 元慶寺 (がんけいじ)


場所:京都市山科区北花山河原町13

「天つ風 雲の通ひ路吹きとじよ をとめの姿しばしとどめむ」―『小倉百人一首』でおなじみの、この歌を詠んだのがこのお寺の開祖・遍昭僧正なのです。

桓武天皇の孫にあたる遍照は延暦寺で仏門に入り、貞観11年(869年)に華山寺を創建したとされている。
その後、元慶元年(877年)には清和天皇の勅願寺となり、崋山寺から元慶寺に名称を変更されたとか。

応仁の乱までは寺域も広かったが、応仁の乱で寺が焼失してから、現在のような小さい規模の寺になった。何しろ、探すのに苦労するほど分かりにくい住宅街の路地の奥にあるのだ。それでも、参拝者が次々訪れるのだ。

花山天皇が、寛和2年(986年)19歳のときに出家し花山法皇となったのが、この元慶寺であるとされている。
この寺が西国三十三箇所番外になっているのは、のちに観音霊場を中興した花山法皇がこの寺で2年間過ごしたためであるとか。


本堂の扉には菊花紋が付けられている。天皇家直系なのだ。小さなお堂だが、参拝者が多い。本堂前に広場がなく通路でご詠歌を唱える参拝者も。
「山門」は竜宮造りになっており、唐風で珍しい形だ。今までに見なかった山門だ。


境内には「ブラシノキ」? 「ハナマキ」?が咲いていた。


京の街に溶け込んだ「革堂(行願寺)」

2007-06-03 09:15:46 | 西国三十三箇所めぐり

<19番札所  霊ゆう山 行願寺(革堂) (れいゆうざん ぎょうがんじ(こうどう)) >


場所:京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町

出家前の行円は猟師であったが、射止めた牝鹿の腹の中にいた子鹿が生きているのを見て改心し、仏門に入ったと言い伝えられている。

行円上人は賀茂の霊木で十一面千手千眼観世音菩薩像を彫り、当初は御所の北、一条北辺堂を復興して「行願寺」としたが、上人のいでたちから「革堂」の名で呼ばれるようになったとか。

ご朱印をしたためて頂いたのは、80歳過ぎのおばあさんであった。
「よく、お参りなさいました!」と声を掛けられた。この方は住職なのだろうか? 
こんな言葉を掛けてくれたのは巡礼してはじめてである。
ひときわ優しく聞こえたのは京都なまりだけでは無さそうで、やわらかな慈愛の情に包まれた思いを抱いたひとときであった。


京の街にとけこんだ「革堂」。


本堂と鐘楼は京都市指定の文化財。