スターアニスの 『大和路 里の光彩』

アーカイブ中心の風景写真、趣味の書・刻字など・・いろいろと楽しんでおります。

「殯の森」の上映を観て・・・

2007-06-29 22:33:40 | 出来事
奈良出身の河瀬監督が地元にこだわり続けている作品の一つ「殯(もがり)の森」。
今日、特別試写会を観てきた。そして、監督と主演のうだしげきさん、尾野真千子さんの3人のトークショーも・・・・。

映画のストーリーは、奈良県東部・山間地のグループホームで暮す認知症の70歳の老人と、子供を亡くし夫と別れた新米・介護福祉士・真千子との、こころを通わす物語である。

若い介護福祉士と、老人との接触に戸惑いながらも・・・次第に打ち解け、老人の亡き妻が眠る山中にある墓を真千子と共に探しに出かけるが・・・車の脱輪というトラブルから、二人は山の中をさまよいながら、亡き妻の墓を見つける。

「介護を受ける者」と、「介護する者」、「先のない男老人」と「失望の若い女性」。まさに現代の抱える問題だ。

映画のストーリーは別として、言葉・会話の少ない出演者のセリフから、次のセリフ・映像が印象深く残っています。


<セリフ篇>
1.「こうしゃんなあかんってこと、ないから」
(自信を失う真千子を、主任の和歌子が元気づけるシーンで・・)

2.「土の中は気持ちいいなあ。土の中に入りたいなあ。」
(老人が亡き妻の墓の土を堀り、寝転ぶシーンで・・)


<記憶に残る映像>
1.「緑が波打つ茶畑」
(冒頭シーンの葬列シーンと老人と真千子の鬼ごっこシーン)

2.「スイカ畑と割れたスイカ」
(老人はスイカを盗み、それを割り二人で食べるシーン)

3.「鉄砲水」
(墓を探すうちに、豪雨となり二人を襲う。音響効果も良し)

4.「焚き火の中に浮かぶ濡れた二人」
(老人の背後から真千子が上半身裸になり暖をとるシーン)
※「人の命と老い、性の輪廻を描きつつ同化する」という監督の主張が伝わるシーンなのだ。


『トークショーでの拾い物』
①河瀬直美監督、うだしげきさん(ブック喫茶経営)、尾野真千子さん(西吉野村の出身)は、3人とも奈良県出身者。
②茶畑は、奈良市の東側、田原地区。
③鉄砲水のシーンは、東吉野村で撮影。
④観客席からはラストシーンですすり泣く人も・・・。(客席にいた、うだしげきさんも・・・今回で泣くこと10回目とか)
⑤グループホームは、廃屋になったものを改装したもの。
⑥真千子さんは、演技勉強のため、1ケ月ほど、映画セットの個室で生活させられ介護福祉の仕事を覚えたとか。
⑦痴呆老人役づくりのため、うだしげきさんは、実際の介護老人センターで働き、痴呆者の目・口・首・手の動かし方を学んだとか。

まあ、「人の命と老い」をテーマとすることから、全体に重く・暗い映像となりますが、「緑色の茶畑・クマザサ、立ち枯れの老木などの自然の美しさ」が随所に観られます。

老人が最後に述べる・・・・・・「土に入りたいなあ。」 
映画を観た人からは、この言葉に共感を覚える人が多いという。
私も、その一人でした。

私は、この程度の感想しかお伝えできません。他の見方も出来ると思いますが・・・。
さて、貴方なら・・・どう思われますか?


「殯の森」上映のあと、河瀬直美監督、主演のうだしげきさん、尾野真千子さんの3人のトークショーも・・・・。


満願成就のお寺・・華厳寺

2007-06-29 11:19:36 | 西国三十三箇所めぐり
いよいよ三十三箇所目、満願のお寺「谷汲山 華厳寺」。
自宅から車で片道4時間。名阪国道25号-東名阪自動車道-名神高速道-258号-417号の往復376kmである。
あと、大阪市内の菩提寺のお寺も車でお参りできることになり、番外・お礼参り寺を含め38箇所全てを車で日帰りで達成することになる。
4月からお参りを始めて、2ケ月も掛かったのだ。

お参りして得られる「ご利益(ごりやく)」とは、待っていて得られるものではなく、結局のところ自分の気持ちの持ち方、前向きに考え、行動することなのだ。
むしろ、周りの人たちに幸せを与えられることが・・・そんなことを・・・。
これが私が得られた「ご利益」だったような・・・。




ご詠歌が3つあるため、ご朱印も3つなのです。
西国第三十三番 谷汲山 華厳寺(たにぐみさん けごんじ


場所:岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23

宗派:天台宗
本尊:十一面観世音菩薩
開基:豊然上人、大口大領

京都を訪ねた開祖の大口大領が仏師に十一面観音像を彫ってもらい、仏像を持って会津に帰る途中、この谷汲の地に来ると仏像が急に重くなり動けなくなったという。

そこで山中で修行していた豊然上人の助けをかり、延暦17年(798年)に堂を建て、十一面観音像を祀ったのがお寺の興りであるとか。

この堂を建てるとき、山中から油が湧き、これを仏前の灯明の燃料に用いたという言い伝えもあり、谷汲(たにぐみ)の地名はこれに由来しているという。

満願を迎えた巡礼者は、このお寺の「笈摺堂(おいずるどう)」に、巡礼を共にしてきた杖、笠や納経帳、巡拝軸などを千羽鶴と共に奉納されている。

ここで貴重な体験をさせて貰った。
というのは、本堂の十一面観音像が祀られている床の真下にもぐりこむことが出来る「戒坦めぐり」をさせてもらった。お参りされている方は全くご存知ないらしく、我々夫婦だけが入ったのだ。

薄暗いお堂の中で、狭い急な階段を手摺りを頼りに垂直に降りる。電灯・灯明など光が全く遮断された床下は、真っ暗。
こんなに暗い世界はいままで見たことがない。光が全く無い。真っ暗闇とはこのことだ。
階段の一段一段を左足のつま先で探り、右手でテスリを伝わりながら・・・。
カミさんも「怖い・怖い。これ何処へ行くの!」と、悲鳴に近い声で私の後ろに続く。
平坦な床面になる。手先に柱や石の冷たさに触れる。方向感覚がわからない。
恐らく、十一面観音像の台座の真下をグルリと周り、元の入り口(出口)に戻ってきたのだろう。

目が見えないことの恐怖、辛さ・・・・光が無いことの怖さ・・・を教えてもらった気分だ。
出てきて最初に目にした本堂の灯明の明かりが優しく迎えてくれた。
今までのお寺の厳しい石段・山道も苦しかったが、目は見えていた。でも、本当の苦痛は「光がない世界に住むこと。目が見えないこと。世間から遮断されること。」だと・・・。

さすが、三十三箇所目として貴重な体験をさせてもらった「華厳寺」であった。


門前街入り口の山門。


仁王門。かなり立派だ。 


階段の先に本堂が見える。今までの石段に比べ、優しい感じがするのは何故だろう?


満願の嬉しさを待っていてくれる・・・そんな気持ちに・・・。


貴重な体験をさせて貰った「戒坦めぐり」。ご利益(ごりやく)は、ここで得られたのかも・・・・。


 「笈摺堂」には、巡礼を共にしてきた杖、笠と共に千羽鶴が・・・。お堂の中には納経帳、巡拝軸などが積まれていた。これらの処分はどうされるのかなぁ。「笈摺」とは、巡礼者が着ている白衣なのだ。


笈摺堂の左側の石段を上がると「満願堂」が建っている。丸い石灯籠には『満願』と書かれている。何となく『満腹』を連想させユーモラス。その隣には「タヌキ」が・・・。狸と満願と満腹・・・おもしろい。




この柱に取り付けられた銅板のレリーフの「鯉」。
この鯉は「精進落としの鯉」と呼ばれ、かつての巡礼者達は満願参拝を済ませ、この鯉に触れることで「精進生活」から開放された気持ちになったという。私も、擦ってみたが・・・そして、鯉の口に十円玉を銜えさせたが・・・。



本堂の手前には「真言宗」のお堂も・・・。稲荷神社も・・・


「真言宗」のお堂の庭にあった「水琴窟」。右下の蓮の花の形のところに耳を当てると・・・優しい音色が・・・。

同じく、「真言宗」のお堂の庭に咲いていた「銀盃草」。可愛い花だ。


振り返ると、仁王門からの参道が・・・新緑が綺麗だ。「満願成就」のスッキリした気持ちになれるのだ。