一龍斎貞花師匠の熱演に触発されて、平成10年7月に私の起草文「プライド 運命の瞬間(とき)」(映画)を掲載してみる。
街の灯りが とてもきれいね ヨコハマ ブルーライト・ヨコハマ…と昭和44年に歌った「いしだあゆみ」も今では演技派女優として活躍している。その彼女が平成10年5月23日から上映された東映映画「プライド 運命の瞬間」に東條元首相の夫人かつ子役で出演している。この映画は、勝者が敗者を裁いた「東京裁判」を素材にその矛盾を浮き彫りにし、一方的な断罪に異議申し立てて日本人の誇りを取り戻そうとするいわゆる「東京裁判史観(戦前のことはなにもかも日本が悪かったという歴史の見方)を批判したものである。
しかしこの映画は、一般公開される前から問題映画だと批判されていた。例えば、まっ先に、制作会社東映の労組が東條をとり上げたということだけで反発、②5月9日・中国中央テレビは、「日本で侵略を美化し、東條英機の功労を賛美する映画が制作されたことに衝撃と憤りを覚える」、③5月15日・韓国の各紙は、「侵略戰爭の美化」「軍国主義への郷愁」「歴史のわい曲」等と報道、④5月15日・映画演劇労働組合総連合を中心に4月20日結成した「批判する会」は東映に公開中止を要請、⑤5月19日・日中友好協会全国本部(平山郁夫会長)は、歴史をわい曲するものとする「アピール」文書発表など、これらはいずれも時間的に見て映画を見た上での内容批判とは思えない。
裁判の冒頭の場面で、アメリカの弁護人が、国際法では戦争による殺人は罪にならない。それを原爆を投下した者達が裁くとは!と発言したその時日本人の通訳が仕事の中断を命ぜられるという衝撃的場面があった。
つまり戦勝国が敗戦国を裁くということ自体、裁判の名に値しない不公平なものだと言うところから、この映画は始まっている。マッカーサー連合国軍最高司令官は、昭和21年1月に「極東国際軍事裁判所条例」を公布し、①侵略戦争に関与した「平和に対する罪(A級)」、②捕虜虐待など「通例の戦争犯罪(B級)」、③迫害行為など「人道に対する罪(C級)」の三っを個人責任を問う犯罪とした。なお、B・C級戦犯裁判は、米国、英国、オーストラリア、オランダ、フランス、中国国民政府及びフィリッピンの7か国それぞれの国内法を根拠に実施されたが、米国を除き全て海外で行われた。
昭和21年5月3日11か国で構成された、東条英機ら7人の「A級戦犯」に絞首刑の判決がくだされた東京裁判(極東国際軍事裁判)終結から今年で50年。そして、絞首刑を執行したのが平成天皇誕生日の昭和23年12月23日である。この裁判の判事でただ一人、全被告の無罪を主張したのがインドのラビダビノード・パール博士であった。
東京裁判は、国際法に基づいて行われることになっていたにもかかわらず、11人の判事のうち国際法の法律専門家はパール博士だけだった。昭和21年11月12日全員に有罪判決が言い渡されたが、パール博士は個別意見書(パール判決)で『東京裁判が国際法に違反し、勝者が復讐の欲望を満たすため、単に法律的手続きを踏んでいるような振りをしているだけだ…』と全員無罪を主張したが、このパール判決は法廷で朗読を許されず、しかも占領中はGHQ(連合国軍総司令部)によって出版が禁止されていた。
その後、東京裁判が違法であることを世界中の政治家や学者が認めるところとなった。博士は、裁判後国連国際法委員長などを歴任し、3回にわたって来日し「日本人よ、日本人に帰れ」と訴え続けた。特に、広島原爆犠牲者慰霊碑に碑文『過ちは繰り返しませんから』の意味を知って激怒した。「誰が誰に対して誤っているのだ」「原爆を落としたのは日本人ではない」「日本の子供達が罪悪感を背負って卑屈、退廃に流されていくのを見逃せない」などと東京裁判の影響を憂い続け、昭和42年にカルカッタで亡くなられた。
平成9年11月京都霊山護国神社境内に博士の顕彰碑が建立され、除幕式に弁護士である長男(71歳)が出席し「博士は真っすぐに道を進むべく裁判に臨んだが、法廷は正義を否定した。だが彼の判断は歴史的なものだ。人は歴史をつくることはできても、変えることはできない」と訴えた。
戦争が終わってからほぼ5年にわたって、国内外で千人を超える日本の指導者や兵たちは様々な形で命を奪われている。これは、平成10年6月15日「B・C級戦犯裁判」関係の外交文書が公開されたことによって、この50年間全く知られていなかったその実態が明らかになった。B・C級戦犯の悲劇を描いたテレビドラマ「私は貝になりたい」の原作者加藤哲太郎氏に対する起訴状も含まれていると言う。
現在の日本の社会的混迷、歴史認識、教科書問題、反日の丸の偏向教育などの原点は、おしなべて『東京裁判』にあるとする声が大きくなりつつある。これらの問題がマスコミなどに登場したら、どの立場で報道しているのか、その内容を吟味し考えてみると世の中の流れが見えてくるかも知れない。これらを考える場合に『再検東京裁判』(小堀経佳一郎著・PHP研究所)が参考になると思う。
街の灯りが とてもきれいね ヨコハマ ブルーライト・ヨコハマ…と昭和44年に歌った「いしだあゆみ」も今では演技派女優として活躍している。その彼女が平成10年5月23日から上映された東映映画「プライド 運命の瞬間」に東條元首相の夫人かつ子役で出演している。この映画は、勝者が敗者を裁いた「東京裁判」を素材にその矛盾を浮き彫りにし、一方的な断罪に異議申し立てて日本人の誇りを取り戻そうとするいわゆる「東京裁判史観(戦前のことはなにもかも日本が悪かったという歴史の見方)を批判したものである。
しかしこの映画は、一般公開される前から問題映画だと批判されていた。例えば、まっ先に、制作会社東映の労組が東條をとり上げたということだけで反発、②5月9日・中国中央テレビは、「日本で侵略を美化し、東條英機の功労を賛美する映画が制作されたことに衝撃と憤りを覚える」、③5月15日・韓国の各紙は、「侵略戰爭の美化」「軍国主義への郷愁」「歴史のわい曲」等と報道、④5月15日・映画演劇労働組合総連合を中心に4月20日結成した「批判する会」は東映に公開中止を要請、⑤5月19日・日中友好協会全国本部(平山郁夫会長)は、歴史をわい曲するものとする「アピール」文書発表など、これらはいずれも時間的に見て映画を見た上での内容批判とは思えない。
裁判の冒頭の場面で、アメリカの弁護人が、国際法では戦争による殺人は罪にならない。それを原爆を投下した者達が裁くとは!と発言したその時日本人の通訳が仕事の中断を命ぜられるという衝撃的場面があった。
つまり戦勝国が敗戦国を裁くということ自体、裁判の名に値しない不公平なものだと言うところから、この映画は始まっている。マッカーサー連合国軍最高司令官は、昭和21年1月に「極東国際軍事裁判所条例」を公布し、①侵略戦争に関与した「平和に対する罪(A級)」、②捕虜虐待など「通例の戦争犯罪(B級)」、③迫害行為など「人道に対する罪(C級)」の三っを個人責任を問う犯罪とした。なお、B・C級戦犯裁判は、米国、英国、オーストラリア、オランダ、フランス、中国国民政府及びフィリッピンの7か国それぞれの国内法を根拠に実施されたが、米国を除き全て海外で行われた。
昭和21年5月3日11か国で構成された、東条英機ら7人の「A級戦犯」に絞首刑の判決がくだされた東京裁判(極東国際軍事裁判)終結から今年で50年。そして、絞首刑を執行したのが平成天皇誕生日の昭和23年12月23日である。この裁判の判事でただ一人、全被告の無罪を主張したのがインドのラビダビノード・パール博士であった。
東京裁判は、国際法に基づいて行われることになっていたにもかかわらず、11人の判事のうち国際法の法律専門家はパール博士だけだった。昭和21年11月12日全員に有罪判決が言い渡されたが、パール博士は個別意見書(パール判決)で『東京裁判が国際法に違反し、勝者が復讐の欲望を満たすため、単に法律的手続きを踏んでいるような振りをしているだけだ…』と全員無罪を主張したが、このパール判決は法廷で朗読を許されず、しかも占領中はGHQ(連合国軍総司令部)によって出版が禁止されていた。
その後、東京裁判が違法であることを世界中の政治家や学者が認めるところとなった。博士は、裁判後国連国際法委員長などを歴任し、3回にわたって来日し「日本人よ、日本人に帰れ」と訴え続けた。特に、広島原爆犠牲者慰霊碑に碑文『過ちは繰り返しませんから』の意味を知って激怒した。「誰が誰に対して誤っているのだ」「原爆を落としたのは日本人ではない」「日本の子供達が罪悪感を背負って卑屈、退廃に流されていくのを見逃せない」などと東京裁判の影響を憂い続け、昭和42年にカルカッタで亡くなられた。
平成9年11月京都霊山護国神社境内に博士の顕彰碑が建立され、除幕式に弁護士である長男(71歳)が出席し「博士は真っすぐに道を進むべく裁判に臨んだが、法廷は正義を否定した。だが彼の判断は歴史的なものだ。人は歴史をつくることはできても、変えることはできない」と訴えた。
戦争が終わってからほぼ5年にわたって、国内外で千人を超える日本の指導者や兵たちは様々な形で命を奪われている。これは、平成10年6月15日「B・C級戦犯裁判」関係の外交文書が公開されたことによって、この50年間全く知られていなかったその実態が明らかになった。B・C級戦犯の悲劇を描いたテレビドラマ「私は貝になりたい」の原作者加藤哲太郎氏に対する起訴状も含まれていると言う。
現在の日本の社会的混迷、歴史認識、教科書問題、反日の丸の偏向教育などの原点は、おしなべて『東京裁判』にあるとする声が大きくなりつつある。これらの問題がマスコミなどに登場したら、どの立場で報道しているのか、その内容を吟味し考えてみると世の中の流れが見えてくるかも知れない。これらを考える場合に『再検東京裁判』(小堀経佳一郎著・PHP研究所)が参考になると思う。