いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

露のように 87編

2005年10月11日 09時55分29秒 | 娘のエッセイ
 『今、自分の周りにある全てのものを捨てて、何処かへ行ってしまいたい』
 ふと、そんな感情が心の奥底から沸きあがってくることが、ままある。
家庭にも、友人にも、恋人にも何も告げずに、突然ボストンバックひとつだけ

を抱えて、ふらっと遠い北の小さな町へ行ってしまったら、どんなにかいいだ
ろう…… でも、なぜ、北なのか。

 やはり『情緒』だろうか? しっとりとしていてほんの少し暗さを含む町、
そんな町となると、やっぱり「北」になる。

 その町の小さな寂れた飲み屋で働き、その日その日だけの為に生きる。
そして、幾つかの刹那的な恋を繰り返し、その果てにひとりの子を身籠る。
子供と、子供の父親と、私の生活は、あくまでも根無し草でーきっと、子供

にとっては最悪の環境なんだろうけれど、それでも三人で、ふわふわした他
人に束縛されない毎日を楽しんでゆける。そんな生き方もいいのではないか。

 いや、積極的にしてみたいとさえ思う。こんなのこと言うと、今の生活があ
ればこそ、そんな呑気なことが言えるんだ、などと怒られてしまいそうだが。

 けれど、落ちるところまで落ちるーそんな中にこそ、ある種の美を感じてし
まうのだ。『恰好良く生きたい』。いつも、私はそう思っている。恰好良くとは、
流行を追いかけて時代の最先端をいくことではなく、私の考えるダンディズ
ムに忠実に、ということである。

 たとえば小さなことでは、人の視線が無くとも背筋は伸ばしていよう、とか。
そういった小さな事柄の積み重ねがあって、いつか恰好良く生きていけた
ら…… と願っている。

 まわりの流れに逆らわずに生きてきて、気が付いたら白寿だった、という
人生も幸福かもしれない。でも、ほんの一瞬だけでいい。

 キラリと光る時があって、あとはすうっと消えてゆく。そんな露のように儚い
人生のほうが、私はうんといい。たとえ、その生き方が他人には不幸に見え
てしまったとしても……

  追記         人を恋うる唄(森進一)
          露地にこぼれた 酒場の灯り
          しみてせつない 放浪れ唄
          おまえがそこにいるならば
          リラの花咲く町もいい
          汽笛きこえる 港もいい……

 これは私の持ち歌の一つ。娘はこんな人生をも考えていたようだ。親とし
て全く知らない心の内。このエッセイは、娘自身の自分の人生を予感させ
るような文脈だなーと今では感じている。.享年34歳。
 娘は「花」を愛し、特に「トルコキキョウ」をこよなく愛でていた。住職
にお願いして、戒名の中に「花」の一文字を入れていただいた。

 ダンス仲間のY・Kさんから頂いた詩

   ○ 慟哭の尽きる 日々なし
              気高くも
                トルコキキョウを
                      愛でし人ゆえ

   ○ 現世に あまたの珠玉
              ちりばめし
                トルコキキョウの
                      麗しの精    
       
コメント
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