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いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

気を許した?音(第3篇)

2005年06月27日 18時04分15秒 | 娘のエッセイ
 先日テレビを見ていたら、面白いアンケート結果を放送していた。それは「彼女
が気を許してくれたと思う時」というもので、若い男性を中心にアンケートをとっ
 
いた。それを見ていて笑ってしまったのは、第二位だか三位に入っていた「僕の前
で彼女がオナラをしてくれた時」という答えのことだ。オナラがど~して気を許し

た基準になるのだろう。番組の出演者も言っていたが、それは単にリラックスのし
すぎ、気を許したのではなく気を抜いているだけじゃないの?と私も思うのだが、

男というのは不思議なものだ。 でも、オナラをある意味での基準にするのは、何
も男に限ったことではないらしい。

 例えばタレントの山田邦子さん。彼女はテレビ番組やエッセイのなかで、男のオ
ナラ大歓迎と言っている。なんでも彼女は男のオナラの音を聞くと「あ、この男も

らった」と思うとか。私は嫌だなぁ、と思う。「この女の前でではオナラをしたっ
て構わない」と思われるのなんて少し悲しい。それって、もう男と女ではなく、緊
張感のないだらけた関係でしょ。

 ところが私が聞いた話だけでも、つきあっている時から、あるいは結婚した途端
に、ブーブーとやらかす男の多いこと。まったく「おはよう」ブー。「おやすみ」

ブー。なんてやられた日にゃ、たまったものじゃない。もしかしたら、結婚した途
端に男と女ではなくなる日本の結婚の実情も、実はこうしたオナラ幻想の影響が大
きいのかもしれないぞ。

 それなら、結婚しても「I LOVE YOU」を言い続けたりする他の国では、オナラは
どんな扱いを受けているのか? 友人の協力を得て、ちょっとオナラ調査をしてみた。

 まず、フランス人のアラン。「家の中では、父も母もするよ。食事中だって、おか
まいなしさ。でも、オナラをすることで気まずくなることはないね。すぐに誰かがそ
れをジョークにしちゃうからさ」。次はオーストラリアの女性。「友人同士で食事し

ている時だって、みんなしちゃうわ。そうすると誰かが「わー、臭いわねぇ」とか言
って、笑いとばしちゃうのよ」。最後に元カレがフランス人というA子さん。「彼、
最初は私の前ではしなかったの。しちゃいけないと思っていたらしいのよ。でも「し

てもいいよ」と言った途端、所構わずものすご~くするようになって……。それが嫌
になって別れちゃったわ」。

 なるほど意外と外国の方々は、開放的にオナラをされているようだ。オナラをする
仲でもスィートになれる、それはやっぱりお国柄の違いだろうか。A子さんの話がそ
れを物語っている。結局、日本女性の理想はこうだろう。オナラを平気でする夫の前

では自分もリラックスし、同じようにオナラをかまして夫を油断させておく。そして、
外ではオナラをしない男とロマンティックでホットな緊張感のある時を過ごす……。
いいじゃない。

 えっ、男だって同じ?そう、同じ穴のムジナというわけ。だから不倫が流行るのね。



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掌の温度(第2編)

2005年06月26日 14時43分12秒 | 娘のエッセイ
 「目は口ほどにものを言う」という台詞を人はよく口にするけれど、それ以上に手は雄弁であると思う。十代の頃、私は女の子同士でよく手をつないだり、腕を組んだり、あるいは抱き合ったりしていた。それら

の行為は、ある種の連帯感を生む行為であり、また「大好きだよ」という気持ちの表現方法のひとつだった。彼女たちの身体や掌はほんのりと温かく、そこにはいつも「安心」が存在していた。

 ところが今の若い女の子達は、あまり同性の友人とスキンシップをしていないように見える。その結果、最初に触れ合いを経験する他人は、自然と男の子になるケースが増えてくる。けれど若い男の子の掌にある

ものは、温かい「安心」ではなく、多くの場合、熱い「欲望」だ。本当に面白いほどに、男の子の掌の温度は正直なのだから。

 恋に落ちたふたりが初めて手をつないだ時や、狭い階段を上がる時に、前を歩く男の子からそっと差し出された大きな手は、心地よく温かだったに違いない。そして、ふたりの関係が熟してきたときにつないだ男

の子の掌の温度は、摂氏百度に近いくらいに熱く、じんわりと汗ばんでいなかっただろうか。「男性とキスした時、その唇が冷たいと感じたら別れが近い証拠」と言っていたのは、確か南美希子さんだった。同様の

ことが掌の温度にも言えるのではないか。と私は思う。口先だけならいくらでも嘘はつける。けれど身体は嘘をつけない。体温を意のままに操れるほど人は便利にできてはいないのだ。

 誰かを励ます時、人はその人の手を握る。喜びを分かち合う時も、手を取り合う。また苦しい時、悲しい時も、愛する人の手は何者にもかえがたく貴い。

 だから手をつなぐとか、手を握り合うという行為は、もっともっと日常的な習慣になってもいいと思うのだけれど、現実はそうではないみたい。手で気持ちを伝える行為に若い人達は違和感をもたないけれど(今

はもっと積極的に表現してしまう輩が多いゾ)、中高年、特に夫婦同士は苦手らしい。感じとしては、奥方がそっとダンナの手元に手を伸ばしても、ダンナのほうは見ぬふりをしてしまう……というところかな。

 ただ、その行為がテレからきているのか、単に手に触りたくないだけなのかは判別不能だ。もちろん、その逆の場合も多いにある。ま、いずれにしても、そんな状況は淋しいかぎり。

 それゆえに私は、やっぱり気持ちがいっぱい詰まった掌に触れたい。そしてメッセージを伝えたいと思う。大きな手、小さな手、肉薄の手、ぽってりした手、骨ばった手。手にはその人自身があらわれている。

 その人をあらわし、しかも人の心の温度までも表現してくれるこの小さなパーツ。これからも先、その温かさのほうだけを感じていられたらいいのに…な。

                            平成8年記
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涙・涙・オトコの涙 (第1編)

2005年06月25日 18時39分30秒 | 娘のエッセイ
 人目を気にせずに「泣くオトコ」が世に登場して久しい。ここで言う「泣く」とは、俗に言う「男泣き」のことではなく、女の子にフラレて泣くとか、映画を見て泣くと言った類の「泣く」である。

 以前勤めていた会社で、朝、顔を合わせた途端に「昨日の××見た?泣けたよなぁ」などと、ドラマやドキュメンタリーを見て泣いたことを、皆にふれまわる男の子を目の当たりにした時には、”世の中は変わっ

たもんだ”とつくづく感心してしまった。その昔、男は人前で泣くもんじゃないと言われた。ゆえに、「涙」と言えば女の専売特許だった。なにせ子供向けアニメの主題歌に♪真珠の涙を浮かべたら、男の子な

んてイチコロよぉ~♪なんていう歌詞があったくらいだから、その威力は凄かったに違いない。そう、涙は

いつだって女の子の強い味方だったのだ。その証拠に、「彼女の涙に負けてしまって……」と言う話は世間にざらにあったではないか。また、涙の効き目がなくて、男の子を引き止められずに「さよなら」を言われ

てしまった女の子は、部屋に閉じこもると食うものも食わずに(その後、猛烈な食欲に襲われるのだが)わんわんと泣いた。何日も何日も。そしてその何日かが過ぎて、大量に流した涙が乾く頃、彼女達は何故か例

外なく次の恋に突入していくのである。どうして、彼女達はこんなにも簡単に、心の痛手が癒えてしまうのだろう。その秘密は「涙」にあるようだ。涙には二種類あって、感情からでた涙と物理的刺激(目に塵が入

つた時など)から出た涙だが、この二つは成分が違うそうだ。感情の涙の方が成分が濃く、べとべとしているという。つまり、物理的涙はただの洗浄液だが、感情の涙のほうは排泄行為であるということらしい。

なるほど、ね。失恋した時、耐える男の子よりも、わんわん泣く女の子のほうが立ち直りが早いのは、泣くことによって感情の全てを排泄し、すっきりしてしまうからだったのだ。

 となるとこのごろの泣き虫男たちも、別れの場面が来たら、昔の女達のように”排泄の涙”をふり絞るのだろうか。何だか冴えないね。おまけに「男は耐えて…」の体質が若干は残っているから女たちのようにわ

んわんとは泣かぬ。サメザメだろうな。あーあ、ますます冴えないね。おまけに、「思い切り泣いた。すっきり!」なんてことになると、全くらしくない話だ。

 いずれにしても「泣くオトコ」の出現で、今や涙は女の武器にはならなくなった。その結果、もはや偽りの涙を流す女の子は、魅力的でなくなる。

 これからは、映画を見て涙を流す男の子に黙ってハンカチを渡してあげ、泣いている男の子の肩をそっと抱き寄せ、「私の胸でお泣き」と言える女の子のほうが、モテモテの時代になるのかもしれない。
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娘がこの世で思っていたこと

2005年06月25日 15時10分50秒 | 娘のエッセイ
 娘は、平成11年9月27日に「○○病院」で精密検査を受けたところ「がん」と診断されました。しかも、入院の前日に記した「あなたは まだ若いから…」などの遺書を残して行くなんて……

 以来、「がん」と闘いながら入院生活を続けてきました。しかし、この結果に、悔しくて悔しくて…厳しかった226日間の入院治療に、気力、体力のすべてを消耗し尽くして、5月11日午後9時に、家族に看取られ

ながら、アッという間に、この世の命を閉じてしまいました。享年34歳でした。結婚生活2年目で、流産を原因とする、一万人に1人にも至らない難病の「絨毛がん」に侵されていました。

 入院中は、何度にも及ぶ「抗がん剤」の投与による、強度な副作用と闘いながらも、グチ、弱音ひとつ吐かずに、同じ部屋の人や、看護婦さんに時には辛口の、そして明るく言葉を掛けていました。

 節分の日には、看護婦さんたちが、「マメ」と書いた小さな紙を何個も作って、病室を訪れ、娘の、健康回復を願ってもくれました。

 また、娘の勤務先「○○の家(障害者)」の人達と、入院直前に撮った、生前最後のスナップ写真を、何時も見つめながら「早く仕事がしたい」「皆に会いたい」と言っていました。娘は、その望みを二度とかな

えることなく、いってしまいました。娘は、生前、エッセイ、物事を文字で表現することが、好きでした。入院当初は、小さなテーブルに向かいながらペンを走らせている姿を何度も見かけました。それは、日々の

症状、薬、治療などを克明に記していました。今は、残された遺稿を何とかまとめてやりたいと思っています。

 娘は、亡くなりましたが、娘は娘らしく、死んだ後にも、大きな仕事を、自分の意志でやり遂げていきました。

 それは、「アイバンク」への「角膜」の提供でした。このことは、娘が「○○の家」での仕事との関わりがそうさせたものと思います。私達家族は、その思いに満足しています。お二人の男の方の目が見えるよう

になったと聞いています。このお二人の目を通しながらこの世をカッポし、きっと、どこかで、みなさんに、そーっと、目線を送りながら皆様に感謝していることと思います。……

 娘が、二十台に数多くのエッセイを残していきました。娘の供養にも是非皆様に読んでいただければと思い「ブログの講習」を受けました。文字だけなら発信できるようになりましたので、これから逐次娘の思い

を娘に代わって送り続けたいと思います。





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