いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

娘がこの世で思っていたこと

2005年06月25日 15時10分50秒 | 娘のエッセイ
 娘は、平成11年9月27日に「○○病院」で精密検査を受けたところ「がん」と診断されました。しかも、入院の前日に記した「あなたは まだ若いから…」などの遺書を残して行くなんて……

 以来、「がん」と闘いながら入院生活を続けてきました。しかし、この結果に、悔しくて悔しくて…厳しかった226日間の入院治療に、気力、体力のすべてを消耗し尽くして、5月11日午後9時に、家族に看取られ

ながら、アッという間に、この世の命を閉じてしまいました。享年34歳でした。結婚生活2年目で、流産を原因とする、一万人に1人にも至らない難病の「絨毛がん」に侵されていました。

 入院中は、何度にも及ぶ「抗がん剤」の投与による、強度な副作用と闘いながらも、グチ、弱音ひとつ吐かずに、同じ部屋の人や、看護婦さんに時には辛口の、そして明るく言葉を掛けていました。

 節分の日には、看護婦さんたちが、「マメ」と書いた小さな紙を何個も作って、病室を訪れ、娘の、健康回復を願ってもくれました。

 また、娘の勤務先「○○の家(障害者)」の人達と、入院直前に撮った、生前最後のスナップ写真を、何時も見つめながら「早く仕事がしたい」「皆に会いたい」と言っていました。娘は、その望みを二度とかな

えることなく、いってしまいました。娘は、生前、エッセイ、物事を文字で表現することが、好きでした。入院当初は、小さなテーブルに向かいながらペンを走らせている姿を何度も見かけました。それは、日々の

症状、薬、治療などを克明に記していました。今は、残された遺稿を何とかまとめてやりたいと思っています。

 娘は、亡くなりましたが、娘は娘らしく、死んだ後にも、大きな仕事を、自分の意志でやり遂げていきました。

 それは、「アイバンク」への「角膜」の提供でした。このことは、娘が「○○の家」での仕事との関わりがそうさせたものと思います。私達家族は、その思いに満足しています。お二人の男の方の目が見えるよう

になったと聞いています。このお二人の目を通しながらこの世をカッポし、きっと、どこかで、みなさんに、そーっと、目線を送りながら皆様に感謝していることと思います。……

 娘が、二十台に数多くのエッセイを残していきました。娘の供養にも是非皆様に読んでいただければと思い「ブログの講習」を受けました。文字だけなら発信できるようになりましたので、これから逐次娘の思い

を娘に代わって送り続けたいと思います。





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4 コメント

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聡明な女性ですね。 (亜樹)
2005-06-26 06:16:38
なんか、涙が...。百合の花が、きれいです。
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時の経過 (いろはに踊る)
2005-06-26 13:53:20
 お立ち寄り頂きありがとうございました。何事も時間が解決すると言われますがまさにその通りです。80編程を逐次投稿していきますのでお立ち寄り下さい。
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何と申し上げたら・・・ (sato)
2005-06-27 11:46:28
同年代の方のブログを、読ませて頂いてましたら、自分だけと・・・思いながらの人生なんて

まだまだ幸せなのだと、思い知らされました。
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ありがとうございました (inazo_)
2005-06-27 21:01:06
私のブログ『母恋』にコメントをくださり、ありがとうございました。気になって来てしまいました。

娘さんの事、時間が経ったとはいえ、今でも残念でならないでしょうね。

私の場合は、あまりにも早かったですが、自然の摂理上、母が先に旅立つ事は仕方がない事です。

が、娘さんに先立たれるとはとても辛い事だと思います。何より、娘さん自身も人生これからという時、辛かったと思います。

エッセイ、読ませて頂きました。

文章から、きっと明るいサバサバした感じの人だった様に思います。是非友達になりたいタイプです。(笑)

偶然にも、娘さんの亡くなられた年令と今の私の年令は同じです。

これも何かのご縁かもしれませんね。

こちらのブログをブックマークさせていただきます。これからもちょくちょくお邪魔するかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。



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