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ふるさとを愛し、自然を愛する

2013年02月10日 | 日記・エッセイ・コラム

姉が、母の持ち物の中から

毎日新聞甲府支局の、当時の支局長さんと記者さんの名刺をみつけ

むかし母が書いたエッセイが新聞で紹介されたことを思い出して、

なんとか記事を手に入れたいねということになりました。

ただ、何年前のことなのか、どんな特集だったのか誰も覚えてない。

覚えてるのは、妹が一緒に授賞式に行って、

テーブルが回る中華の食事に招待していただいて、

そのとき母が緑色のスカートをはいていたという・・・なんの足しにもならない情報だけ。

義兄が方々電話してくれた結果、

最終的に東京の本社で名前が検索に引っかかったそうで、20年前の新聞記事が手に入りました。

今日は、早いもので月命日だから、恥ずかしながら家族自慢、失礼しますね。

それは、毎日郷土提言賞という募集の92年「感想文の部」というものでした。

自分で応募して優秀賞をもらったようなのです。

残念ながら、『人として成長するために』という題のついた応募文章自体は手に入らなかったのですが

「受賞後の感想」という記事が残っているということで、新聞社から送ってもらいました。

日付は1993年3月30日、母が45歳のとき。(ちなみに姉は17、私15、妹14歳。)

桃や植木栽培をしていた祖父(父のほうの)が亡くなり、会社勤めをしていた父に代わって

母が近所の人たちに教わりながら本格的に桃づくりを始めて、数年経ったころ。

私がうっすら覚えてるのは、

夕飯の片付けを終えた母が、遅くまで書き物をしていたことと

「おじいちゃんのことを書いてるさ。早くに死んじゃったからかわいそうで。」と言っていたこと。

教員の仕事を辞めてふるさとに戻って結婚した母は、

よく「こんな田舎にお嫁に来なきゃ良かった」なんて本気なのか冗談なのかわからない口ぶりで言ってたけど。

何か予感があったのか、去年は私が電話するたびに

「あんたが落ち着かないと死んでも死に切れないから。もう~早く何とかするからね。」と言われてました。

それで、お見合い事件(!)があったとき(結局だめで母をがっかりさせたのですけども。。。)、

それも母とめずらしく腹を割って話す機会が何度もできて、今となってみたら本当にありがたかったなと思うのだけど

「仕事辞めて、田舎に来るなんてヤダヤダと思ってたけど、今になってみれば家族に恵まれて、これはこれで幸せなもんだよ」と言っていたから

それを聞けて良かったなと心から思ったし、父にも母がそう言っていたと教えてあげました。

前置きが長くなりました。

「受賞後の感想」という小さな文章です。

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仕事に追われる忙しい時期には、あまり考えないのですが、ふと自分だけがとり残されていくような気がする時があります。
「何かしてみたい」と思っても「何を、どのように」という見当もつかず、ただあせるような気持ちでいる時に、毎日郷土提言賞募集の記事を目にしました。
身近なことで、普段感じていることをまとめればよいという内容に受け取れたので、「私にもできるかもしれない」と思いました。
そして一歩踏み出さなければ何も変わらないとの思いで、半ば衝動的に、支局に手紙を書きますと、応募票と優秀作品集を送ってくれました。
それには、「日ごろ考えていることを気軽に書いて下さい。楽しみにしております」という支局長さんの言葉が添えられていたので「とにかく書いてみよう」という気持ちになりました。

春になると畑仕事が始まり、近所の人たちと顔を会わせることが多くなります。
これが私の日常ですから、この中で思ったことを書いてみました。
思いがけず、新聞で紹介して頂き、何人かの人が声をかけてくれた時は、恥ずかしい反面、「一歩踏み出してよかった」と思いました。

私にとっては、周りの人の温かさを改めて知り、成り行きまかせの日ごろの生活態度を反省する機会になったように思います。
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