般若経典のエッセンスを語る38――不幸な場所をすべてなくす

2021年10月11日 | 仏教・宗教

 八番目は「離三悪趣苦の願」で、すべての生き物・人々を三つの悪い・不幸な生存形態から離れさせたいという願である。

 

 ……菩薩大士が……もろもろの有情が三つの悪い生存形態、一には地獄、二には畜生、三には餓鬼の世界に堕ちているのを見たならば……「私は渾身の努力をし身命を顧みず……我が仏国土の中には地獄・畜生・餓鬼の世界がなく、またそういう三つの悪い生存形態の名前さえなく、一切の有情が良い生存形態に包み取られるようにしよう」と。……

 

 神話的な仏教の世界観では、今生で善業を積まず悪業を重ねていると、人間界でもより悪い状態に生まれ変わり、悪業が重いとより下の生存形態に堕ちることになっていて、最悪がすべて苦しみの世界である地獄、それから何を食べてもしても満足のできない餓鬼、性欲と食欲のことしか考えられない畜生、絶えず争い傷つけあっている修羅・阿修羅である。そのうちの阿修羅を除いた特に悪いところを「三悪趣」または「三悪道」という。

 菩薩は、人々が悪業の結果・報いとして三つの悪い生存形態に堕ちて苦しんでいるのを見た時、いわば「自業自得だ」「私には関係ない」というふうに他人事と見て放置することはしない・できない。

 人々はほんとうは自分と一体なので、自分のこととして、「我が仏国土の中には地獄・畜生・餓鬼の世界がなく、またそういう三つの悪い生存形態の名前さえなく、一切の有情が良い生存形態に包み取られるようにしよう」と懸命の努力をするのだという。

 「良い生存形態」とは、人間界の中のいい所と、天界と、そこから上の世界のことで、つまり衆生すべてが三つの悪い生存形態から離脱して極楽・天国・ユートピアのようなところで暮らせるよう、渾身の力を込めて身命を顧みず努力する。

 それだけでなく、菩薩が建設する仏国土には、地獄・餓鬼・畜生という生存形態がまったくなく、したがってその名前さえないようにするのだという。

 そうすることで、菩薩大士はこの上なく正しい覚りに限りなく接近するのだ、と言われている。

 第一願以下すべて最後のところに「是の菩薩・摩訶薩は此の〇〇波羅蜜多に由りて速に円満するを得て無上正等菩提に隣近(りんごん)す」とある。決して到達するのではなく、「接近する」のである。

 つまり、覚りきって、苦しみに満ちた六道・六種類の生存形態から自分だけが解脱・脱出してしまわない。そこにとどまって衆生救済の働きをし続ける、それが大乗の菩薩大士なのだという。

 


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