みんな星の子・宇宙の子

2012年08月23日 | 心の教育

 H大学社会学部1年男子

 この考えをはじめて聞いたときは、とてもぶっ飛んだことを仰っているなと思いましたが、宇宙の歩みのプロセスを辿っていくとなるほど。

 自分の存在は奇跡的であり、もしかしたら必然的であり、宇宙の一部として恥のないように自分の役割をまっとうしていきたいと思いました。

 人生をまっとうし、たとえ死んだとしても、身体はまた微生物たちによって分解され、還元されていくので、ずっとこの宇宙の中に自分が生きつづけ、巡回しつづけるんだと思うと胸が熱くなりました。

 講義を通じて、私の世界観は大きく変わり、4月とは違う世界が今、目の前に広がっています。

 とても新鮮で生きていくのがとても楽しい世界です。



 かつてトランスパーソナル心理学の日本への導入に力を入れ、朝日カルチャーセンターなどでレクチャーをしていた頃、聴講者から「トランスパーソナル心理学って、頭がトランスしてパーになる心理学かと思っていたんですが、ちょっと違うんですね」と言われたことがあり、思わず笑ってしまいました。

 確かに、「宇宙と私は一体」などと事実や理論を説明する手順抜きで言ったら、まさに「ぶっ飛んでいる」と言われても当然でしょう。

 また実際、日米共に「トランスパーソナル」を自称する人の中には理論抜きにぶっ飛んでしまっている方もいますので、そういう方たちとは少し一線を画したいと思うようになり、現代科学の標準理論をベースにしたコスモス・セラピーや仏教の深層心理学・唯識などを語ることに重心を移してきました。

 それでも、上の学生のように手順を踏む前には「ぶっ飛んでいる」という印象を持たれることもしばしばあります。

 それだけ近代における人間と大自然=宇宙との分離感はあまりにも一般化しているということなのでしょう。

 しかし手順を踏んで伝えると、「なるほど」という納得に至ります。

 下の学生も、最初は「この先端技術産業などが発達してる時代に…」と感じたようですが、やがてちゃんとわかり、すごく感動したと報告してくれています。



 H大学社会学部1年女子

 この先端技術産業などが発達している時代に、自分たち人間が「星の子である」などとまじめに大学の講義で言われるとは思っていなかった。

 そしてそれを言っているのが今の世の中をつくったともいえる科学者だとは思わなかった。

 始めに先生が言い出したときに、あまりにもスケールの大きい話でよく分からなかったけれど、ちゃんと自分がもともとは夜空に輝く星からできているのだと分かったとき、すごく感動した。

 ただの物語が実話になったみたいだった。

 もちろん生物がすべて共通の祖先をもつ家族なのだと知った時も感動したけど、それ以上に自分が星の子であるというのは感動した。

 人間は勉強して頭を良くして、良い大学に行って、就職してしっかりお金を稼いで、結婚して家族を作って、子どもを産んで、子どもを育てて社会に送り出して…と世間の人々に認められるような人生を送らないと価値がある人間として認められないのだろうなと思っていたし、そうならなければ本当にまだこの世に生まれただけで自分になんて価値がないのだろうなと思っていたけど、自分が星の子なのだと思うだけで自分は価値ある存在なのだと思える気がした。

 だからこそもっと自分を高めていかなきゃならないとも思えた。

 前期の授業を終えて、一週間に一度しかないからあまり数多くない授業だったけれど、どの授業よりも新しく得るものが多かった授業だった。

 おかげで今までよりずっと有意義な夏休みが過ごせそうな気がする。

 後期の授業が楽しみだ。



 自主キャンペーンとして言えば、コスモス・セラピーにはいくつもの利点がありますが、その大きな一つは「人間には生まれてきただけで価値がある」「人生にはちゃんと生きていくだけの価値や理由や責任がある」ことをきわめて強い事実的・科学的根拠をあげて子どもに伝えることができるというところです。

 学生の感想に「ただの物語が実話になったみたいだった」とありましたが、実際、
根拠のない神話・物語によってでなく、事実と科学的根拠に裏づけられた実話で、「あなたの人生には無条件に絶対的・宇宙的価値がある」と語ってあげることができるようになったのです。
 
 言うまでもなく夏休みも生きることを許された有限な人生の時であり、こうしたことを自覚した若者たちは夏休み・人生の時を有意義に過ごすことができる・過ごさなければならないという気持ちになってくれるようです。

 そして、上の学生や下の学生のように、本来の学びというのは、単に社会的適応のためではなく、むしろよりよく生きるための学びであり、そういう学びはとても楽しいのだ、という実感を持つようになります。



 H大学社会学部1年女子

 私は、先生の本を読み、授業を受け、ものの見方、考え方ががらりと変わり、私の人生そのものが、良い方向へと変わったのではないかと感じるようになった。

 毎回、授業を受け感動し、これから後期の授業もとても楽しみである。

 前期、私がこんなに生き方が変わった、感動したと思えたので、後期は次はどんな感動、発見があるのかと思うと早く受けたいという気持ちがあり、今までなら休みが長くあってほしいと思っていたのが、授業を早く受けたいと思うようになった。

 ニヒリズム、エゴイズム、快楽主義について深く考えることが今までなかったので、このようなことを考える機会ができたことも私にとってはプラス面だった。

 これからの授業も楽しみなので、がんばって受講していきたいです。



 毎年、「後期の授業が楽しみだ」というふうなことを書いてくれる学生がたくさんいますが、中でも上の学生のように「今までなら休みが長くあってほしいと思っていたのが、授業を早く受けたいと思うようになった」などとうれしいことを書いてくれると、私まで、「夏休みが早めに終わってもかまわない。授業を早く始めたい」という気分になってきます。

 かつて長年人気のあるシリーズの物語を書き続けてきたある児童文学作家が、「その話、次はどうなるの、次はどうなるの…」と子どもたちから次作を次々と期待されてきたのは、児童文学作家としてこの上ない幸せだった、と語っているのを読んだことがあります。

 私も教師として、ちょっとそういう気分にさせてもらっています。

 ただ、後期は仏教、聖徳太子「十七条憲法」、スウェーデン・緑の福祉国家というやや渋いテーマの話なので、前期ほど直接的に感動してもらえるかどうか、若干心配ではありますが、例年どおりであれば、また別の種類の発見-納得-感動というプロセスを体験してもらえることでしょう。


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2 コメント

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Unknown (旧学生)
2012-08-24 00:12:05
90年代の学生の者ですが、私も学生のストレートな感動の表現に、時代の最先端だと感じます。
90年代特有なのか、感動とか物語とか(まして宇宙(!))とかという言葉はリアリティのない冗談みたいな感じでした。「最先端の科学技術」とあるとおり、科学が世界はそういうものではないともう暴いてしまっているのだから、というメッセージが心に染み込んでいるのだと思います。
しかしそうした科学は実はすでに百年ほど古く、科学的であるほど世界は感動的なのだ、というここでのメッセージにリアリティを感じます。
コスモロジーを説明された箇所でおっしゃっているように、人間は本質的に言葉に対して真面目である必要があるのだと感じました。
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もう一度まじめになる時代 (おかの)
2012-08-24 18:36:13
>旧学生さん

 90年代に学生さんだったんですね。

 あの頃はしらけの真っ最中でしたね。お疲れさまでした。

 しらけて、ふまじめでやっていけるという錯覚のある時代でしたからね。

 しかし、今はもう一度まじめにならなければもう先がないという時代だと思います。

 それはもちろん、言葉に対しても真面目にならなければならないということです。

 人間は本能ではなく言葉で生きていかざるをえない生物なのですから。
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