善の心9:不放逸(ふほういつ)――怠らない心

2006年03月20日 | 心の教育

 善の心の9番目は、「不放逸(ふほういつ)」です。

 一語で元の意味を表現できる適当な訳語が思い当たらなかったのでとりあえず「怠らない心」としました。

 「放逸」とは、勝手気ままに遊びふけったり怠けたりしてやるべきことをやらないというふうな意味で、「不放逸」はそういうことをしないということです。

 私たちのマナ識にはしっかりと我慢と我愛があるため、自分が楽なこと、自分が楽しいこと、自分が気持ちがいいこと……を自分の思いどおり、好き勝手、自分勝手にするのが人生の意味だと思い込んでしまう強い傾向があります。

 しかもその楽さ、楽しさ、気持ちのよさも、ごく目先でしか考えられない人が多いのが問題です。

 目先の楽、楽しみ、快楽の追求という原因は、しばしばやがてとても苦痛な結果を生み出したりするものです。

 長い目で見て、ほんとうに楽で、楽しくて、気持ちのいい人生を送りたいのなら、必要な時に必要なことをすることから逃げないほうが身の為・ほんとうの意味での自分の得なのです。

 「そんなの、なんかめんどくさいな」と感じる方、めんどくさがって、さぼって、やがて後で嫌な目に遭うのが好きなんですか? それが「得」だと思われますか?

 めんどくさくてもめんどくさくなくても、今やっておいたほうがいいことをやることが、長期的視点からすれば、確実に自分の得でもあると思いますが、どうでしょう?

 そして縁起の理法・つながりという法則性から成り立っているコスモスでは、自分の利益と他者の利益はつながって一つなのですから、長い目で見れば、自分のためも人のためもありません。

 長い目で見て自分と人に利益をもたらすことのために、今やるべきことをさぼらないでやること、つまり不放逸ということは、こうしてちゃんと考えると自他のために善であることはまちがいありません。

 唯識と論理療法のおかげで、私はさぼり癖がかなりよくなりました(まだ完璧ではありませんが)。

 そしてその結果、中長期、自分も人も得になるようなライフ・スタイルがかなり確立できてきて、いい気分で暮らせるようになっています。

 ……という私の経験からも、「不放逸」はお勧めのいいこと・善だと思います。



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3 コメント

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Unknown (XAITO)
2006-03-21 11:10:21
いいお説教いただきました。



目先のめんどくさいに惑わされない人生の方がいい人生ですね。



当たり前のことなのですが、自分には

我慢、我愛という心の錯覚があるというのが前提だと。

深く納得せざるを得ません。



今一度、唯識で心の構造を勉強しなおします。
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中長期 (HIRO)
2006-03-21 12:41:06
目先と中長期。

「目からウロコ」の発想法です。



目先のことに負けないよう、中長期も励みます。



有り難うございます。
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Unknown (りょう)
2006-03-21 21:47:03
とてもいいお話でした。

中・長期の展望、とても大事ですね。

ついつい目先のことに心奪われがちになってしまう・・・。

自戒したいところです。



有り難うございました。
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