他人事のように話しているように感じられるかもしれませんが、20の随煩悩は私も全部身に覚えのあることなんです。
今回の「散乱」もまた大いにあって、反省です。
これは、狭い意味では、坐禅中に集中できなくて、心が静かにならないことです。
実際にしてみるとよくわかるように、私たちの心はあれこれといろいろなことへ関心をもっていて、なかなか集中できません。
その「関心」は、基本的に自分にとって損得、好悪などどちらの関わりがあるかを気にするという心です。
自分を中心にして分別するマナ識に支配されていることは、この場合もはっきりしていますね。
さらに広い意味でいうと、どちらでもいいこと、どうでもいいこと、あまりよくないこと等々に、いろいろ関心・興味があって、人生の優先事項に集中できないことも含まれるでしょう。
いわゆる「気が多い」というやつですね。
気が多い人(私も)は、無常ということ、人生の貸し与えられた時間は有限であるということの自覚が足りないのです。
人生に、あれもこれも面白そうなことを全部つまみ食いしていられるほど時間がたっぷりあるかのような錯覚を抱いているのです。
まあ、青春には時間が無限にあるような錯覚がありがちで、それは青春の特権でもあるので、あまり目くじらを立てるつもりはありません。
親鸞聖人のような宗教的天才なら、幼い時にすでに次のような歌を作って、思い立ったその夜にでも出家するのでしょうが。
明日ありと思う心のあだ桜夜半に嵐の吹かぬものかは
なかなかここまでの切実な無常観をもつことは、ふつうの人間には困難です。
しかしそれにしても、膨大な時間を浪費し相当な年齢になった後で、「ああしておけばよかった」と後悔しないためには、早めに散乱・気が多すぎるという煩悩を反省-克服しておく必要があることはまちがいありません。
なお、「気が多い」ことと「関心が広い」ことは一見似ていますが、実りがあるかどうかということで区別はできます。
広い関心は持ったほうがいいですね。
ムダなことに気を散らすのはやめましょう(←これも自戒です)。
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ところで、「日本を緑の福祉国家にしたい」シンポジウムの件、今日夕方からさっきまで小澤徳太郎先生としっかり話し込み、本格的な合意ができました。
彼も本気です。
私も本気です。
みなさんも本気でしょう?
なので、面白いことになりそうです。
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あっという間に過ぎ去ってしまいそうです。
で、あれも楽しそう、これも興味ある、何て感じで、時間はどんどん過ぎてしまう。
あれこれ散乱しないようにがんばりたいです。そんな時間はないはずなのですから。
分かっているけど、意識できないこともあります。
“気が多い”と“関心が広い”・・・面白い使い分けだと感じました。
面白いことになりそうです!!!
「気が多い」効きますね、これ。
「関心が広いと、気が多いは違う」
これ、もっと効きますね。
本気です、バックキャストです。
できるか、じゃなくて、やるんですね。
やっと、わかりました。
まずは、シンポジウム成功させましょう!
しかし、実りって、単なる業績とも違うような気もするし目に見えないレベルのこともあるようで、よく考えるとまたわからなくなってきます。
単純なアンナは、自分も周りの人も、ふんわり暖かな気持ちになっていくような方向だったら、実りって考えてよいのかしらと思いました。
だから、いくつ論文を書いたとか、作品を仕上げたとか、入賞したとか、ベストセラーになったとか、ま、これもひとつの指標でしょうけれど、よく見ていかなければと思ったことでした。
良くあるのは、非常に有能な方の家庭崩壊。
何のためなんだって・・・国が豊かになっても自分の最も愛する身近な人たちがさびしく傷ついていたら・・・どうなんでしょ。
女性の視点かもしれないけれど、そう思うアンナは、今のところ、何よりも、子供に寄り添うことを最優先しています。
>みなさん
今回の記事は何よりも自戒です。
できそうに思っていることと、実際にできることの距離をなるべく小さくすること。
しかし、持続可能な社会を創出することは、もうできるできないではなく、するしかない、できると信じるしかないことだと思っています。
なせばなる なさねばならぬ 何事も なさぬは 人のなさぬなりけり
上杉鷹山
ぜひ、みんなで成し遂げましょう。