随煩悩15:失念(しつねん)――物忘れ・気づきを失った心

2006年04月27日 | メンタル・ヘルス

 「すべてはつながって一つ」ということは、しっかり学ぶと誰でもわかり、納得できる事実だと思います。

 しかし、そのことを学んだ人がほとんど誰でも(私も)体験するのは、学んだその時はわかったような気がしても、ふだんはみごとなほどすっかり忘れているということです。

 そのことにいつも気づいている、いつもその事実が意識にあるという人はめったにいません(いたら、その人こそ覚った人=ブッダなのです)。

 いちおう「物忘れ」と訳しましたが、「失念(しつねん)」というのは正確に言うと、縁起・空という事実が念頭からすっかり去っている心の状態のことです。

 念頭・意識に浮かぶのは妄想・雑念ばかりという状態は、それは間違っているという意味でも、当然悩むことにもなるという意味でも、煩悩です。

 より具体的な実例としては、ぜひご自分の日常を思い出してみてください

 何か悩みにはまりこんでいるとします。

 その時には、100%、法則的にといっていいくらい、縁起・空ということ、あるいは自分とコスモスが一体だということを忘れているのではないでしょうか。

 自分がコスモスと一体であり、悩みの種・問題もコスモスの中での出来事だということが、しっかり意識にあると、悩むにしてもまいってしまうほど過剰に悩んだりはしません。

 10円玉を眼に近づけたり遠ざけたりするワークの時のように、悩み、というより問題を大きなスケールの視野の中に置きなおして見ると、それほど大げさに捉えるほどのことではないと思えてきます。

 すると、冷静になることができ、「どうしたらこの問題を解決できるだろう」と考えることができるようになるはずです。

 しかし、その「はず」がなかなかはずにならないので困ります。

 そして、はずにならないのは、肝腎な時に思い出せないからですね。

 いつでも意識にあるとまでいかなくても、必要な時・肝腎な時にはちゃんと思い出せるようになるには、しっかりと記憶しておく――受動的な記憶ではなく、能動的な記憶として――つまりアーラヤ識に熏習しておく必要があります。

 縁起・空の理法を忘れているのが「失念」、それに気づいているのを「正念(しょうねん)」といいます。

 正念を持続したいですね。



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4 コメント

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Unknown (XAITO)
2006-04-28 00:01:45
単純な事実も、忘れているとまったく見えなくなることがあります。



例えば、ご飯。

おいしく飯が食えることも、ボケッとしているとただの空虚な作業になっている時があります。

飯を食う、肉となり血となる。ありがたいことなのに、当たり前になる。

うむ、気をつけよう。



こういうことも、今回の話に関わっていますか?
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Unknown (ぐー)
2006-04-28 02:09:25
う、なるほど、これはたしかに「具体的な実例」です。

日々流され、なかなか思い出せないでいます。

記憶にもレベルというか深さに違いが有るようですね。
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Unknown (サトミ)
2006-04-28 08:17:52
これも思い当たります・・・。



縁起・空ということを忘れ去っていること、

しばしばというか、日常のほとんどかもしれません。



しっかり刻んで、正念を持続できるようになりたいです。

がんばります。
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こりゃ痛い・・・ (常連の若僧)
2006-04-28 22:39:17
う~む、まこと、先生の仰るとおり、縁起・空がどっかに飛んじゃっていることがほとんどであります・・・。

日常を省みれば失念ばかり・・・

サトミさんと同じく、正念の持続、頑張りたいです。

頑張りまっす。
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