鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

渡辺崋山の銚子への旅 その最終回

2012-01-30 05:28:27 | Weblog
この利根川河口部において港町・漁港として繁栄していた銚子の町を治めていたのは、しかし幕府ではなく、高崎藩でした。飯沼村には高崎藩の陣屋(飯沼陣屋)があり、享保2年(1717年)、松平輝貞が越後村上藩から高崎藩に復帰した際、石高5000石の銚子領はそのまま高崎藩の飛び地として引き継がれました。飯沼陣屋には奉行以下19人の役人とその召使いである中間(ちゅうげん)がおり、さらにその下には高崎藩から扶持米を受ける御用達商人や抱え医師、また郷足軽などがいました。銚子領は廻船業や漁業、醤油醸造業などで潤っており、そこから上がる運上金・冥加金は高崎藩にとっては重要な財源でした。しかし度重なる高崎藩からの多額の上納金の要請は、地元の商工業者にとっては迷惑なものでもありました。崋山は、銚子の町なかの風景を、たった1枚、「新町大手、町奉行やしき」として描いていますが、これは飯沼村の高崎藩陣屋(飯沼陣屋)の門前風景を描いたもの。崋山が、この銚子を治めている高崎藩の存在をしっかり意識していたことは、この1枚の絵を描いていることから、確認することができます。 . . . 本文を読む