鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

渡辺崋山の銚子への旅 その最終回

2012-01-30 05:28:27 | Weblog
 高崎藩による銚子支配については、『新編高崎市史 通史編3近世』に詳しい。

 それによると、高崎藩は銚子の商工業者に対して、「才覚金」として多額の調達金(上納金)を納めさせましたが、それは幕末になるにつれて頻繁になっていきました。

 たとえば天保10年(1839年)の7月9日、有力商人たちが集められ、急用で1200両の調達金の提供を指示されました。

 商人たちは減額を要請したものの拒絶され、その後の双方の交渉により、11日に1005両を納めることで決着したという。

 また元治元年(1864年)3月23日には、「三ノ御台場」の警衛費用として2750両の献金が求められています。

 銚子には、飯沼陣屋の代官庄川杢左衛門(「じょうかん様」)の伝承がありますが、この庄川杢左衛門は、天明3年(1783年)7月の浅間山の大噴火で、3日間降灰があって領民が難儀した際、米800俵を陣屋から施米し、またその翌年、翌々年に長雨のため凶作が続いた時も、陣屋の米蔵を無断で開いて、米や金を領民に施したという「温情代官」でした。

 死後33回忌にあたる文政6年(1823年)8月、高神村の名主である加瀬新右衛門が催主となって、村内の都波岐社前に頌徳日が建立されたということもありました。

 しかし、そのような伝承が残っているということは、逆に、高崎藩の支配が厳しいものでもあったことを示しています。

 高崎藩だけでなく、江戸時代後半、とくに幕末における全国諸藩の領民に対する「上納金」など負担の要請は厳しく、それへの反発や反感は次第に高まっていきました。

 『玄蕃日記』の文政8年(1825年)7月~8月の記録を見てみても、そこには、「御役所非常御用の節出張の召連手子の儀」「非常の節御用達共召連人数」「御用達拾八軒召連人数」「近年非常御用御繁多」などの語句がしばしば出て来ます。

 高崎藩(飯沼陣屋)の御用達商人は「拾八軒」あり、飯沼村のその一人は田中玄蕃であり、今宮村のその一人は深井九右衛門であり、そして荒野村のその一人は大里庄次郎(桂麿)でした。

 時の「飯沼陣屋」の代官は「串戸様」。

 田中玄蕃は、同じ御用達商人である大里庄次郎としばしば連絡をとりあったり、自宅まで呼び寄せたりしています。

 「御役所非常御用の節」に「御用達」が「出張」する際、引き連れていく者(手子)の正確な人数を飯沼陣屋は把握しようとしているようですが、「近年非常御用御繁多」の詳しい内容はわからない。

 「遠村御廻村」という語句があったり、「上総辺沖に空船見付候風聞の儀」という文章があったり、「寛政十午二月」の琉球船の「川口沖之漂着」や、「文化四卯正月」の「唐船」漂着の記事があることを考え合わせると、銚子沖に出没する異国船への警戒が藩当局にはあり、その警戒や巡視のために、銚子の御用達商人が駆り出されているように思われます。

 藩への多額の上納金もさることながら、このようなことも御用達商人にとっては重い負担となったはずであり、大里庄次郎のそばにいた崋山には、それら御用達商人たちの苦情も耳に入ってきたものと思われます。

 前年の文政7年(1824年)には、常陸国北端の大津浜でイギリス捕鯨船の乗組員上陸という驚愕すべき事件があったばかりであり、この年(文政8年)の2月には、「異国船無二年打払令」が幕府によって出されたばかりでした。

 そういった状況の中で、藩当局からの要請によって駆り出される御用商人たちの動きや、またその負担に対する彼らの不満の声なども、銚子滞在中の崋山が見聞したものであることはまず間違いないものと思われます。


 終わり


○参考文献
・『新編高崎市史 通史編3近世』高崎市史編さん委員会(高崎市)
・『田中玄蕃日記 要用記』(文政八年)


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2 コメント

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エントリーお疲れ様です (あきもと)
2012-02-02 23:14:45
先日は短い時間で、また途中退席失礼いたしました。
これからも有益なエントリー期待しています。
度重なる取材行、くれぐれもお身体ご自愛くださいますようお願い申し上げます。
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あきもとさんへ (鮎川俊介)
2012-02-03 05:01:15
先日はたいへんありがとうございました。貴重な出会いを通して、有益な取材を続けることができました。これからもこつこつと取材を続け、やがてはまとまったものができるとよいと思っています。銚子はとても興味ある町の一つであると思いました。今後とも、よろしくお願いします。また秋元さんのご活躍を祈念します。  鮎川俊介
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