鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2011.冬の取材旅行 銚子海岸遊覧 その4

2012-01-13 05:45:35 | Weblog
 銚子市の公正図書館や旭市の県立東部図書館の一般書では、幕末の銚子について詳しいところはよくわかりませんでしたが、この論文によりかなり詳しいことを知ることができました。しかも、この論文には「荒野地区を中心として」と副題にあるように、行方屋大里庄次郎の商家があった荒野村のことが中心に論じられています。それによると「銚子」の町場を形成していたのは、利根川の河口側から見ると、順に飯沼・新生(あらおい)・荒野(こうや)・今宮の4ヶ村を中心とした村々でした。新生村と荒野村の間には小さな川があり、その川を「滑川」という。飯沼村は飯沼観音下に位置し、名主を務めた「ヒゲタ醤油」で有名な田中玄蕃家があり、また高崎藩の飯沼陣屋がある。新生村は飯沼観音から西へ続く通りに展開する村で、その西端に「滑川」が流れている。荒野村は「御穀宿(おんこくやど)」や「気仙問屋(けせんどんや)」、仲買商、醤油醸造業などの商家が集中している「銚子第一之町」でした。今宮村は西端に「唐子船入場」と称する入江があり、そこは川船の避難港として賑わっていたところでした。この今宮村は荒野村に次ぐ町屋であったようだ。荒野村の行方屋大里庄次郎(桂麿)の屋敷地は、現在大里庄治郎商店となっていて、現住所は銚子市中央町。「ココロード」の西に続く「マイロード」に面してありますが、この沿道の町並みがかつての「通明神町(とおりみょうじんちょう)」と重なり、白幡神社もその通りに面しています。 . . . 本文を読む