鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2011.冬の取材旅行 房総のむら~銚子海鹿島 その2

2012-01-03 07:15:14 | Weblog
「四州真景図」に納められている風景画は、「中川御番所」から始まって全部で30枚。そのうち銚子および銚子の海岸を描いたものは、「松岸より銚子を見る図」から始まって14枚。つまり半分近くを銚子関係のものが占めています。「松岸より銚子を見る図」や「常陸波崎ヨリ銚子ヲ見ル」図は、前に触れたように銚子の町全体を利根川越しに眺めたパノラマ写真のようなものであり、崋山が相当に力を込めて、港町および河岸町としての銚子の外観およびその繁栄ぶりを描こうとしたもの。「新町大手、町奉行やしき」は高崎藩飯沼陣屋の門前を描いたもので、町中を描いた唯一のもの。あとはすべて銚子海岸(川口の鵜ノ糞石から犬吠埼を経て屏風ヶ浦あたりまで)の風景を描いたもの。ある一地区において、崋山がこれだけ多数の(14枚!)風景画を残しているというのは、この銚子およびその周辺だけではないだろうか。これはたまたま崋山が銚子に立ち寄って、その景観に感動して描いたというよりも、旅立つ前から銚子の海岸の様子を聞いていて(江戸の人々で「銚子遊覧」をした人はあちこちにいただろう)、それを描きたいがために、崋山は銚子を目指したのであり、その途中でついでながら「東国三社詣で」もしてみよう、といったところではなかったか。しかしその過程で、崋山は興味・関心の赴くまま、出会った人たちからの情報で、予定していたコースをやや離れて寄り道をし、またひとかどの人物を訪ね、その人物たちから貴重な情報を入手してもいたのです。彼は、人と出会い、人から有益な情報を入手することも、旅の大きな楽しみとする人であったのでしょう。 . . . 本文を読む