小林一茶は、文化14年(1814年)の5月28日(旧暦)、銚子の行方(なめかた)屋大里庄次郎(桂麿)を訪ね、翌日29日には、桂麿の案内で外川に赴いています。また6月1日には、一茶は桂麿や李峰とともに浄国寺(大里家の菩提寺)を訪れ、その西側にあった「望西台」の「日観亭」という庵で休んでいます。ここからは、眼下に銚子の町並みや悠々たる利根川の流れ、利根川対岸の波崎方面を眺めることができました。崋山は当時、画家として江戸ではそれなりに知られた人物であったから、大里庄次郎は一茶同様「賓客」としてもてなしたものと思われます。まずは一茶の時と同様に崋山一行を「銚子の磯めぐり」に誘い、そして自ら案内したのではなかったか。その下検分の後、崋山は今度はゆっくりと写生(スケッチ)のための「磯めぐり」に出掛けたのではないか。つまり、崋山は2回ないしそれ以上、天気を見計らって、「磯めぐり」のスケッチに出掛けているのではないか、と私は推測しています。 . . . 本文を読む