「心ゆたかな暮らしを」  ~Shu’s Page

小説のレビュー、家族の出来事、趣味の事、スポーツ全般など、日々の出来事をつづりながら、一日一日を心豊かに過ごせれば・・・

今まさに、日清戦争前夜の如く・・・

2010年11月16日 | 雑感・日記的な
遡ること124年前・・・「長崎事件」と呼ばれる事件が起こりました。

>1886年(明治19年)8月1日、清国(いまの中国)海軍の北洋艦隊のうち、
>定遠、鎮遠、済遠、威遠の四隻の軍艦が長崎港に艦艇修理のため入港した。
(これには、清国の武力威嚇の意味も大いにあったという)

>8月13日に、清国水兵が遊廓で登楼の順番をめぐる行き違いから、
>備品を壊したり暴行を働くなどのトラブルを起こし、日本の警官が
>鎮圧に向かった。 双方が抜刀して市街戦に発展、斬り合いの結果、
>双方とも死傷者を出し、警官に逮捕された。

>8月14日、長崎県知事日下義雄と、清国領事館蔡軒の会談で、
>清国側は集団での水兵の上陸を禁止し、又上陸を許すときは
>監督士官を付き添わすことを協定した。

>8月15日、前日の協定に反し、午後1時頃より300名の水兵が上陸、
>清国水兵数人が交番の前でわざと放尿し交番の巡査が注意すると、
>彼らはその巡査を袋叩きにした。これを見ていた人力車車夫が激昂し、
>清国水兵に殴りかかった。すると、清国水兵の一団が加勢し大乱闘となった。
>そして、止めに入った警察官と清国水兵が斬り合う事態に発展し、
>それぞれ死傷者を出した。

>この事件は1884年(明治17年)の甲申政変と併せて日本国内の
>反清感情を大いに刺激し、12年後の日清戦争を引き起こす両国の
>対立の背景の一つとなった。


ということがありました。完全に清(中国)から舐められていた日本でしたが、何か現在の日本を取り巻く状況に似てると思いませんか?

幕末から明治の中期にかけて、日本は激動の時代に入っています。 日本国内の勢力同士が「土佐だ!薩摩だ!長州だ!」と国内統治を目指して競り合い、その後は「旧幕府軍VS新政府軍の戊辰戦争」となり、これまでの封建体制から天皇を中心とした中央集権国家の基礎が築かれました。

ようやく国内が落ち着き始めた頃に、海外では欧米列強が「東アジアの覇権」を目指して、「我先に!」と、東アジア諸国を植民地化していき、清やロシアも北東アジア地域をいかに自分の領土とするかという、世界的には大変な戦国時代やったんですね。

そんな頃に、ついこないだまで「ちょんまげ結って、刀を差していた」日本のサムライは、近代国家への道を急ピッチで駆け上がり、日本の国益を守るために(途中から段々と方向性が変わっていきましたが・・・)文官・武官が一体となって、知恵を絞り、少ない力を合わせて、大国に立ち向かいました。

そして、諸外国側からは「勝てっこないわな」と思われていた、「日清戦争」、「日露戦争」に連勝し、何か勘違いしてしまって韓国併合までしてしまい、その後の第一次世界大戦、第二次世界大戦へと突き進んでいくという流れは、皆さんご存知の通りですな


さて、話は戻りますが、今まさに、中国とは「尖閣諸島」、韓国とは「竹島」、ロシアとは「北方領土」ということことで、日本近海を巡る動きは大変緊張しております。

今こそ、国内で「民主だ!自民だ!政権交代だ!」と、政治家同士もマスコミも、足を引っ張ったり、あら探しをするのではなく、まさに「国難」ともいえる様々な外圧に対して、日本国民が一枚岩となって立ち向かわなければならないときではないでしょうか?

昨年暮れに放映され、大反響を呼んだ、NHKの「坂の上の雲」の第二部が、11月末に放映されるということです。 僕は戦争賛美者でも軍国主義者でもありませんが、当時の大国・清やロシアに臆することなく立ち向かい、日清・日露戦争に臨んだ明治の先達の気概を学び、今後の日本の進むべき道を見出すことが必要でしょう!
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