「偏愛マップ」齋藤孝著より。
筆者の齋藤氏は奥さんに時々突っ込まれると語っている。「昔さだまさしのレコード持ってたわよねー」と言われるらしい。何であんなのが好きだったんだろうという過去があるのも事実だ。
もう50年以上も生きていると、確かにかつて一時期だけ熱中したものはある。その時は一生それが好きかもしれないと思ったものでも、後から考えればほんの数年だったりもする。
私が高校時代だけ熱中したのは、海外文通だった。今の時代にはわざわざ手紙を書くことを趣味にする人はまれだろう。しかし当時はそのアナログがおもしろかったものだ。
また、自分が好きだったものを否定することは、新しい自分に生まれかわることでもあるという。つまり偏愛マップに断絶が生じることになる。時にはこの断絶がパワーになることもあるらしい。面白い現象でもあるな。
だからこそ、後で振り返れば、何であんなのが好きだったのだろうと、不思議に思えることもあるのだ。そういえば、初めて買ったレコードは藤圭子のLP(演歌)だったな。(むしろ娘の宇多田ヒカルより歌に味があったとも思えるが)
筆者の齋藤氏は奥さんに時々突っ込まれると語っている。「昔さだまさしのレコード持ってたわよねー」と言われるらしい。何であんなのが好きだったんだろうという過去があるのも事実だ。
もう50年以上も生きていると、確かにかつて一時期だけ熱中したものはある。その時は一生それが好きかもしれないと思ったものでも、後から考えればほんの数年だったりもする。
私が高校時代だけ熱中したのは、海外文通だった。今の時代にはわざわざ手紙を書くことを趣味にする人はまれだろう。しかし当時はそのアナログがおもしろかったものだ。
また、自分が好きだったものを否定することは、新しい自分に生まれかわることでもあるという。つまり偏愛マップに断絶が生じることになる。時にはこの断絶がパワーになることもあるらしい。面白い現象でもあるな。
だからこそ、後で振り返れば、何であんなのが好きだったのだろうと、不思議に思えることもあるのだ。そういえば、初めて買ったレコードは藤圭子のLP(演歌)だったな。(むしろ娘の宇多田ヒカルより歌に味があったとも思えるが)
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