「野村ノート」野村克也著より。
これは単なる野球の技術に関することだけが述べられている一冊ではなった。むしろ人生訓のようなものがたくさん含まれている。上記は野村氏の長年の監督としての経験を通しての持論でもあった。
平成17年のヤクルトの監督時代のこと。二軍のグラウンドで練習する機会があったときロッカーに貼ってあったある社会活動家の言葉が気になったそうだ。そこにはつぎのようにあった。
「・・・いったい自分とは何なのか。親のおかげ、先生のおかげ、世間様のおかげの塊が自分ではないのか・・・」。このような言葉を目にして、氏は思い当ることがあったという。
それはいまの選手にもっとも欠けているものは、「感謝の心」だと気づいたことだった。野村氏の若い頃は、親に楽をさせたいという思いが一流選手の原動力だったようだ。
実際一流と呼ばれている選手で親を大切にしない者はいなかったと振り返る。親孝行とは感謝の心だった。ついつい「~のおかげ」という感謝は忘れがちになってしまう。念頭に置かねばと思った次第。
これは単なる野球の技術に関することだけが述べられている一冊ではなった。むしろ人生訓のようなものがたくさん含まれている。上記は野村氏の長年の監督としての経験を通しての持論でもあった。
平成17年のヤクルトの監督時代のこと。二軍のグラウンドで練習する機会があったときロッカーに貼ってあったある社会活動家の言葉が気になったそうだ。そこにはつぎのようにあった。
「・・・いったい自分とは何なのか。親のおかげ、先生のおかげ、世間様のおかげの塊が自分ではないのか・・・」。このような言葉を目にして、氏は思い当ることがあったという。
それはいまの選手にもっとも欠けているものは、「感謝の心」だと気づいたことだった。野村氏の若い頃は、親に楽をさせたいという思いが一流選手の原動力だったようだ。
実際一流と呼ばれている選手で親を大切にしない者はいなかったと振り返る。親孝行とは感謝の心だった。ついつい「~のおかげ」という感謝は忘れがちになってしまう。念頭に置かねばと思った次第。
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