これまで秋葉原は、常に10年後の主力産業となる商品を生み出し続けてきた・・・
「年収防衛」森永卓郎著より。
これは第3章の「モリタク流発想術」というところで目にしたフレーズだった。ここでの小タイトルは“秋葉原に学ぶ新産業”となっていた。年代別にその変化が述べられている。
1960年代は家電の街だった。確かに秋葉原と言えば、すぐに電気製品を思い出したものだ。そして1970年代の主力商品はオーディオに変わっていった。この頃私も秋葉原でカセットデッキを買った覚えがある。
1980年代はパソコンの時代になる。とは言ってもまだ初期のプログラムを打ち込むようなものだった。そして、1990年代の秋葉原の主力商品はマルチメディアになっっていった。テキストと映像、音楽が結びついた世界が出来上がっている。
そして2000年に入ると、萌えという言葉が流行り出した。アニメのキャラクターやDVD,ゲーム、フィギュアが主力商品になっている。その後はこの地で生まれたAKB48なども爆発的な人気となって続いている。
きっとはじめは、これほどまでに派手に展開するとは予想できなかったのではないだろうか。それぞれのブームのはじめには誰もがあやしいものだと思っていたものが次々と、力をつけていったように思える。そのブームも長いか短いかの違いだろうが。
「年収防衛」森永卓郎著より。
これは第3章の「モリタク流発想術」というところで目にしたフレーズだった。ここでの小タイトルは“秋葉原に学ぶ新産業”となっていた。年代別にその変化が述べられている。
1960年代は家電の街だった。確かに秋葉原と言えば、すぐに電気製品を思い出したものだ。そして1970年代の主力商品はオーディオに変わっていった。この頃私も秋葉原でカセットデッキを買った覚えがある。
1980年代はパソコンの時代になる。とは言ってもまだ初期のプログラムを打ち込むようなものだった。そして、1990年代の秋葉原の主力商品はマルチメディアになっっていった。テキストと映像、音楽が結びついた世界が出来上がっている。
そして2000年に入ると、萌えという言葉が流行り出した。アニメのキャラクターやDVD,ゲーム、フィギュアが主力商品になっている。その後はこの地で生まれたAKB48なども爆発的な人気となって続いている。
きっとはじめは、これほどまでに派手に展開するとは予想できなかったのではないだろうか。それぞれのブームのはじめには誰もがあやしいものだと思っていたものが次々と、力をつけていったように思える。そのブームも長いか短いかの違いだろうが。
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