我が家で一番高い所で花を咲かせているのは“サルスベリ”。約4mの高さで強い日ざしを受けた濃いピンクの花が夏空に美しい。たくましさを感じる。ふと目を少し下にやると白い花。ユリである。おおかた3mの高さ。下の方はジャングルみたいに木で覆われているから太陽を求めて伸びていったと思うのだが、ここまで支柱なしで伸びて花をつけているユリは見たことがない。周りの木が支柱の役をしてくれているのだが、普通は途中で折れてしまうだろう。生命力の強さを感じる。
同じ土に、同じように水をやっていても成長に大きな差が出てくる。動物でも植物でも内在するエネルギーは個々異なっているのだろう。昔から人が草木に目をやるのは、そこに“命のはかなさ、たくましさ”を見るからであろう。動物と違い、植物は勝手に移動しないから定点で見続けることができる。樹齢400年とか1000年と聞くと、永遠の時を感じ、その“生のエネルギー”をおすそわけしてもらう感覚にとらわれる。『有限の生』を自覚した人間にとっては、対象は何であれ『永遠なるもの』へのあこがれを持つのは宿命かもしれない。
がんばって伸びて、サルスベリに負けじと咲いているユリの花は1週間もすればしおれてしまうだろう。その間に、道行く人が見上げて一瞬「おお!」と思ってくれれば存在した値打ちはあるだろう。
同じ土に、同じように水をやっていても成長に大きな差が出てくる。動物でも植物でも内在するエネルギーは個々異なっているのだろう。昔から人が草木に目をやるのは、そこに“命のはかなさ、たくましさ”を見るからであろう。動物と違い、植物は勝手に移動しないから定点で見続けることができる。樹齢400年とか1000年と聞くと、永遠の時を感じ、その“生のエネルギー”をおすそわけしてもらう感覚にとらわれる。『有限の生』を自覚した人間にとっては、対象は何であれ『永遠なるもの』へのあこがれを持つのは宿命かもしれない。
がんばって伸びて、サルスベリに負けじと咲いているユリの花は1週間もすればしおれてしまうだろう。その間に、道行く人が見上げて一瞬「おお!」と思ってくれれば存在した値打ちはあるだろう。
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