素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

これで見納め 「地球ゴージャス」公演

2009年08月07日 | 日記
 岸谷五朗・寺脇康文の2人が1994年に結成した演劇ユニット“地球ゴージャス”の公演を、縁あって、今までに2度も観る機会があった。テレビの『相棒』で寺脇康文という役者に興味を持ったのが、このユニットを知るきっかけだったと思う。今回は10作品目。節目である。私にとっても節目と思い、これで最後にしようとチケットを取った。
 人気の公演で、大阪の初日ということもあって、超満員。その9割が女性。またまたパワーを感じる。さすがに、洗練されたステージになってきた。見納めにふさわしいものであったことに感謝。
 北海道開拓をモチーフに、少数民族(先住民族)との共存をテーマに、3人3様の愛と別れをからめ、歌やダンスをふんだんに取り入れて、重い深刻な内容をエンターテイメント性の高いステージに仕上げていた、“ゴージャス”らしさが存分に出ていた。

 そのステージを見ながら、今日、行きの電車の中で やっと読み終えた 荻野文子の「ヘタな人生論より徒然草」の一文とがリンクした。

 *人が人と交わろうとすれば、別れに際して、「痛み」と「赦し」の相反する感情に同時に耐えなければならないのだろう。「人の温かさを求める気持ち」と、「自分ひとりで生きようとする意志」の両方を兼ねそなえてこそ、人に対して「誠実な交わり方」ができるのではないだろうか。去っていった者にも心を留め、その言葉の端々を忘れず、思い出してはせつない気分に陥りながらも、自分の人生はきちんと生きている。お互いがそうであればこそ、仮にひと時であっても関わり合った甲斐もあろうというものである。
 兼好に比してはるか低次元にいる私だから、寄りかかるまいと思いつつも相手に期待を寄せるのではあるが、だからこそ「ひとりで立って生きる」ことを自分に強く言い聞かせている。

 なぜ、彼女の本が目に飛び込み、買ったのか?が読み終えてわかった。彼女は自分のマンションの部屋で、阪神大震災の被害に直接遭われ、『死』を覚悟し、被災者という立場を経験したことを境に、人生に対する向き合い方が大きく変わったそうだ。そこから発せられる言葉なので、私と共鳴した。

 

 
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