素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

ゼロ・トレランス方式を考える

2014年05月29日 | 日記
新聞で、《子どもの問題行動に厳格な罰則を定
める「ゼロ・トレランス方式」(ゼロトレ=寛容度ゼロ指導)と呼ばれる指導方針を、大阪市教委が市立学校に導入する検討を始めた。橋下徹市長が提案し、来年度にも予算化してモデル校に導入する方針だ。ただ、暴力行為や服装違反などに対して出席停止や退学処分も辞さない教育手法には慎重論も根強く、議論を呼びそうだ》という記事を読んでから、ずっとこのことが頭から離れなかった。

 中学校の生活指導は、生徒自治の方向を目指すものと生徒管理の徹底を目指すものとの間をメトロノームの針のように往き来しているように思う。前者の一番極にあるのが自由の森学園における教育実践で、後者の一番極にあるのが「ゼロ・トレランス方式」だろう。その間にあってたくさんの教育実践がなされてきた。時代時代で脚光を浴びたものもすべて広く定着したものはない。というのが事実。

 それは、生活指導のあり方は、地域社会・学校規模・生徒集団・教師集団など多くの要素が絡まった中で生み出されてくるものだからだ。困難な状況がつくられる要因が違えば対処方針も違う。万能な方法はない。それぞれに長所、短所を持つ。そのことを踏まえて、現場で試行錯誤しながら実践を積むしかないのである。・

 したがって、ゼロ・トレランス方式の是非だけを論じても意味はない。ただ、現場からではなく市教委(市長の意向が強く反映しているのだろうが)がモデル校を設定するという方法は間違っている。また、この方式は頭で考えればスッキリとできそうに思うが、実際にやろうとすれば難しい問題が多くある。「言うは易し、行うは難し」の代表である。カンフル剤にはなっても長続きしないことが実証されている。

 これからも考え続けるだろうから、まとまるたびに書いていきたい。
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