「余禄」を書き写したり、ジムでランニングマシーンで走ることは気ぜわしい生活になるとできなくなる。ここ1週間余りは出かけたり用事がが重なりバタバタして心のゆとりがなかった。今日は何も予定がなかったので11時過ぎからピラティスのスタジオレッスンをはさんで16時近くまでの4時間余りじっくりとトレーニングをした。ランニングマシーンでも80分間13kmを走った。
ストレッチをしていた顔見知りの人から「まだまだ若いね」と声をかけられた。「若くはないですよ」とこたえると「だってまだフルやハーフのマラソン走っているのでしょう?」ときた。「まわりの人たちが思っているほどたくさん走ってないですよ。60歳になった時の大阪マラソンが初ですから」とランニング一筋と思っているみたいなので訂正をした。「フ~ンそうなの?でも若いよ!」と‟若い”から離れない。シニア世代へのほめ言葉であることはわかっていても素直になれない私がいる。「若くないということを自覚するためにマラソンを走っているのかもしれない」と口走った。案の定「なに?それ?」と怪訝な顔。ジムのランニングマシーンで周りの人が歩いている中、走っていると結構、自分はいけていると錯覚する。ところが、たくさんの人と一緒に走る大会では自分がいかに遅いかがよくわかる。速くないと見える人に楽々抜かれていくのである。その時にこの人よりも遅い走りを自分はしているんだと自分を客観視できる。年齢ととともに衰えていくことは避けることはできない。「アンチエイジング」とか「若い者にはまだまだ負けん」という力んだ気持ちは持つべきではないと思う。衰えを少しでも先延ばしできればよし。ぐらいの楽な気持ちが大切。そのためには「自分は若くない」ということを実感する必要がある。というようなことを話したが、さて伝わったかな?
村野中では体育祭の800mリレーに職員チームをつくり生徒と一緒に走っていた。短距離は小学校の頃から自信があった。リレーでは良い思い出が多いのでリレーで走るのは好きであった。20代後半の時、バトンをもらった時2mほど前を走る生徒を見て、直感的に「抜ける!」と感じた。ところが走れど走れど差を縮めることはできなかった。これが「自分は若くない」と思った最初。次は二中でのマラソン大会、河川敷を折り返す10kmのコースである。赴任以来ずっと一緒に参加していた。30代後半の時、折り返して走ってくる生徒のヨタヨタした走りぶりを見て「ファイト!」と声掛けをしたが、いざコーンをまわって折り返すとその生徒の背中がどんどん遠くになっていくのである。これが2回目の自覚。
自覚した翌年からはそれぞれ参加することをやめた。まあ引退である。今は若くないことを自覚しても引退はしない。「若くない」からこそ楽しいことがたくさんある。
ストレッチをしていた顔見知りの人から「まだまだ若いね」と声をかけられた。「若くはないですよ」とこたえると「だってまだフルやハーフのマラソン走っているのでしょう?」ときた。「まわりの人たちが思っているほどたくさん走ってないですよ。60歳になった時の大阪マラソンが初ですから」とランニング一筋と思っているみたいなので訂正をした。「フ~ンそうなの?でも若いよ!」と‟若い”から離れない。シニア世代へのほめ言葉であることはわかっていても素直になれない私がいる。「若くないということを自覚するためにマラソンを走っているのかもしれない」と口走った。案の定「なに?それ?」と怪訝な顔。ジムのランニングマシーンで周りの人が歩いている中、走っていると結構、自分はいけていると錯覚する。ところが、たくさんの人と一緒に走る大会では自分がいかに遅いかがよくわかる。速くないと見える人に楽々抜かれていくのである。その時にこの人よりも遅い走りを自分はしているんだと自分を客観視できる。年齢ととともに衰えていくことは避けることはできない。「アンチエイジング」とか「若い者にはまだまだ負けん」という力んだ気持ちは持つべきではないと思う。衰えを少しでも先延ばしできればよし。ぐらいの楽な気持ちが大切。そのためには「自分は若くない」ということを実感する必要がある。というようなことを話したが、さて伝わったかな?
村野中では体育祭の800mリレーに職員チームをつくり生徒と一緒に走っていた。短距離は小学校の頃から自信があった。リレーでは良い思い出が多いのでリレーで走るのは好きであった。20代後半の時、バトンをもらった時2mほど前を走る生徒を見て、直感的に「抜ける!」と感じた。ところが走れど走れど差を縮めることはできなかった。これが「自分は若くない」と思った最初。次は二中でのマラソン大会、河川敷を折り返す10kmのコースである。赴任以来ずっと一緒に参加していた。30代後半の時、折り返して走ってくる生徒のヨタヨタした走りぶりを見て「ファイト!」と声掛けをしたが、いざコーンをまわって折り返すとその生徒の背中がどんどん遠くになっていくのである。これが2回目の自覚。
自覚した翌年からはそれぞれ参加することをやめた。まあ引退である。今は若くないことを自覚しても引退はしない。「若くない」からこそ楽しいことがたくさんある。