某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

地獄に落ちたブレジネフ

2011-05-31 19:30:31 | ぼやき
 米原万里さんの回顧展に、講演で披露したロシアの小話が書いてあった。彼女は沢山の小話を仕入れ、「000シモネッタ」などと日本語をロシア語化して少し刺戟(本人の恥ずかしさ?)を和らげる工夫をしていた。以下のものも少しシモネッタ風かもしれない。
 ブレジネフは死ぬと地獄に落ちた。地獄では責め苦が待っている。獄吏は「どのような責め苦にあいたいか、先輩の姿を見て選べ」という。見るとレ―ニンが針のむしろの上で悶えている。スターリンは煮え立つ釜の湯の中でうきつ沈みつ苦しんでいる。ブレジネフが「どっちも駄目だ」と別の方を見ると、なんとフルシチョフがマリリン・モンローとベッドでいたしている。「あれが良い」とブレジネフ。すると獄吏が云った「あれは駄目だ。あれはマリリン・モンローに対するお仕置きだから」。
 死後裏切られたレーニン。回りじゅうの人間がスパイや反逆者ばかりに見えて、粛清しなければ心の休まらなかったスターリン。そんなことが読み取れる。フルシチョフはスターリン批判を公にしたから良い点数をもらえたのかもしれない。マリリン・モンローには、あんなむくつけき農民親父の相手をさせられるのは死ぬより辛いことなのかもしれない。
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不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か

2011-05-31 18:04:47 | ぼやき
 昨日鎌倉文学館に行った。前庭に立派な裸婦像が建っていた。まず、同行の友人とバチバチ写真を取り、やおら作者の名を確かめるとH.TAKADAとある。ありゃ、高田博厚さんじゃないか、道理で立派なわけだ、とおのれの「審美眼」の確かさに気を良くして中に入ると、ロマン・ロランの首の彫刻があった。これも高田博厚。そうか親交があったんだ、とまたまたびっくり。
 鎌倉文士の数の多さに驚きながら一回りし、米原万里さんの回顧展に入る。56年の生涯をたどる一室と著作や諸活動の写真を展示する部屋との二室にわたって詳細に紹介してあった。生き急いだような短い生涯。癌は全く人類の敵だ。
 彼女は、同時通訳を始めたころ、全部を日本語にするのに苦労したそうだ。すると、「分かるところだけ言えばいいんだ」と教えられ、それから楽になったという。
 英語のことわざに「翻訳は女に似ている。美しければ忠実でなく、忠実ならば美しくない」というのがある。美人はみな亭主を裏切るとか、亭主を裏切らないのはブスばかりだ、などと私が考えているわけではない。イギリス人の「ユーモア」。近頃はやりの「超訳000」というのは、この美人型。どうすればそうなるか、と首をかしげたくなるほど原文に不忠実な翻訳だが、美しい日本語で読みやすい。良いことに、大筋は原文通り。それと比べれば、「古い」岩波文庫の翻訳書などには、原文を読まないと意味がとれないほど、わけのわからぬ日本語が多い。昔の『資本論』訳やカントの翻訳書など其のいい例だ。あれはまったく「(原文に)忠実な醜女」としか言いようがない。万里さんの通訳は多分美人型だ。ゴルバチョフ、エリツイン、ロストロポーヴィッチ、サファロフなど旧ソ連のトップの人々や事実上追放された人々が、ともに万里さんの通訳に満足したのはそのためだろう。
 彼女の経験が『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』という最初の本に結実している。このタイトルは著者が女性だから使えたのだろうな、と私は思っている。
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シンポジウム「なくせ貧困生かせ憲法9条・25条」

2011-05-30 02:10:21 | 市民運動関係のイベント情報
憲法九条やまとの会5周年講演会  大和市・大和教育委員会後援

2011年6月4日(土)午後1時開場 1時半開演

場所 :大和市保健福祉センターホール(小田急江ノ島線 鶴間駅から徒歩5分)
参加費:前売り500円 当日800円
問い合わせ:事務局 電話&Fax 046-272-8880  当日090-2669-4219 

オープニング:木管の調べにのせて
       クラリネット 斎藤 行 オーボエ 北島 章 ファゴット 石井 淳


シンポジウム 「なくせ貧困いかせ憲法9条・25条」

竹信三恵子さん(和光大学教授・前朝日新聞編集委員)
 朝日新聞の東京経済部、編集委員などを経て、今年4月から和光大学教授。連載「多様化する女性雇用」「家事の値段(見えない労働)」「『8時間労働』之行方」「現場我壊れる」などで女性問題や労働問題を多く扱う。09年貧困ジャーナリズム大賞。著書に『日本株式会社の女たち』『ワークシェアリングの実像―雇用の分配か分断か』『ルポ雇用劣化不況』など。


本田徹さん(国際保健協力市民の会シェア代表理事の医師)
 青年海外協力医師隊員として北アフリカに派遣。若月俊一医師のもとで農村医学、山谷地域の訪問診察、路上生活者支援に従事。シェアの海外及び日本国内での保健医療活動に対し、若月賞(2007年)沖縄平和賞(2009年)等を受賞。著書に『すべてのいのちの輝きのために~シェアの25年』など。

 
斉藤竜太(憲法九条やまとの会事務局長)
 医師。大和市南林間に十条通り医院開業。神奈川労職センター、憲法九条やまとの会設立参加。地域医療外国人医療、じん肺アスベスト被害をはじめとする労災職業病医療に携わる。
 
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コマーシャルの影響力

2011-05-27 14:25:42 | ぼやき
 恵比寿駅で流す曲が「第三の男」で、駅とどんな関係があるんだ、と書いたら、コメントですぐ教えられた。あれはTVでビールの宣伝に使っている曲だからです、と。続けて、ビールの宣伝との関係にはすぐ気付いたが、あれが「第三の男」だったことは忘れていた、とも。私はコマーシャルの方を知らなかった。ビールを思い出す人と、映画を思い出す人と、どっちが多いのだろうと思っていたら、家にいる孫がビールの宣伝の曲だという。恵比寿にライブを聴きに行くからプラットホームであの曲をよく聴くらしい。ビールの曲だから違和感はなかったらしい。残念ながらあの傑作映画は知らなかった。
 こうなると、戦後のヨーロッパでペニシリンが国際密売組織により大量に闇取引されていた、とか、ウイーンが分割統治されているため密売組織摘発が難航し無関係な主人公が危険な目にあうなど、あの映画に描かれていたことはおそらく全くチンプンカンプンだろう。残るのは(理解されるのは)音楽だけか。チャーチルがペニシリンで助かったとか、もしペニシリンが発見されなかったら戦争の経過も大変違ったものになっただろうなどいう、戦後すぐの「救世主ペニシリン」への大大感謝はどこに行ってしまったのだろう。それにしてもペニシリンは高かったね。江戸時代の朝鮮ニンジン並みだろう。
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エリザベス2世のアイルランド訪問

2011-05-24 00:24:22 | ぼやき
 イギリスの君主が90年ぶりにアイルランド島を訪問した。1921年6月に北アイルランド議会開会のためジョージⅤ世がベルファストに行って以来初めてのことだ。南でアイルランド自由国が成立したのは1922年1月。したがって「事実上のアイルランド独立」以来初めての訪問ということになる。何故今訪問したのか、まだ本当のところは分からない。しかし、女王が「Garden of Remembrance 追憶の庭」という独立運動で倒れた人々を祭る記念公園で花束をささげたことには大きな意義があると思う。
 このガーデンはダブリンの目抜き通りのほぼ北端・パーネルを記念するスクエアに接してある。アイルランドは、主なところだけでも、1789年の蜂起から、1803年、1848年、1867年、1916年イースタ―蜂起と、蜂起しては敗北を重ね、1919~1921年の対英独立戦争でようやく「少し半端な独立」をかちとった。これらイギリスとの戦いで犠牲になった人々を偲び顕彰しているのが、この「追憶の庭」だ。1966年にイースタ―蜂起50周年記念事業の一つとして、当時の大統領デ・ヴァレラによって開幕された。イギリスの君主がここを訪れ、花束を捧げるというのは私にはまだ信じられないくらい大変なことだし、凄いことだと思う。
 どれほどのことかと言うと、例えば、日本の天皇が韓国に行き、ソウルのパゴダ公園の3・1独立運動を記念するレリーフに花束を捧げてお参りする、というようなことだ。そんなことは、天皇が万一望んだとしても、日本ではやらせまい。右翼は騒ぎ、内閣不信任くらい出されかねない。中国に行き、同様の地で花束を捧げるというのも出来ない相談だろう。日本がいつになっても胡散臭く思われる理由の一つには、イギリス国王とのこうした態度や行動の違いがあると思えてならない。天皇が行けば問題は解決する、などとは私は考えていないのだが。
 
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