イギリスの君主が90年ぶりにアイルランド島を訪問した。1921年6月に北アイルランド議会開会のためジョージⅤ世がベルファストに行って以来初めてのことだ。南でアイルランド自由国が成立したのは1922年1月。したがって「事実上のアイルランド独立」以来初めての訪問ということになる。何故今訪問したのか、まだ本当のところは分からない。しかし、女王が「Garden of Remembrance 追憶の庭」という独立運動で倒れた人々を祭る記念公園で花束をささげたことには大きな意義があると思う。
このガーデンはダブリンの目抜き通りのほぼ北端・パーネルを記念するスクエアに接してある。アイルランドは、主なところだけでも、1789年の蜂起から、1803年、1848年、1867年、1916年イースタ―蜂起と、蜂起しては敗北を重ね、1919~1921年の対英独立戦争でようやく「少し半端な独立」をかちとった。これらイギリスとの戦いで犠牲になった人々を偲び顕彰しているのが、この「追憶の庭」だ。1966年にイースタ―蜂起50周年記念事業の一つとして、当時の大統領デ・ヴァレラによって開幕された。イギリスの君主がここを訪れ、花束を捧げるというのは私にはまだ信じられないくらい大変なことだし、凄いことだと思う。
どれほどのことかと言うと、例えば、日本の天皇が韓国に行き、ソウルのパゴダ公園の3・1独立運動を記念するレリーフに花束を捧げてお参りする、というようなことだ。そんなことは、天皇が万一望んだとしても、日本ではやらせまい。右翼は騒ぎ、内閣不信任くらい出されかねない。中国に行き、同様の地で花束を捧げるというのも出来ない相談だろう。日本がいつになっても胡散臭く思われる理由の一つには、イギリス国王とのこうした態度や行動の違いがあると思えてならない。天皇が行けば問題は解決する、などとは私は考えていないのだが。
このガーデンはダブリンの目抜き通りのほぼ北端・パーネルを記念するスクエアに接してある。アイルランドは、主なところだけでも、1789年の蜂起から、1803年、1848年、1867年、1916年イースタ―蜂起と、蜂起しては敗北を重ね、1919~1921年の対英独立戦争でようやく「少し半端な独立」をかちとった。これらイギリスとの戦いで犠牲になった人々を偲び顕彰しているのが、この「追憶の庭」だ。1966年にイースタ―蜂起50周年記念事業の一つとして、当時の大統領デ・ヴァレラによって開幕された。イギリスの君主がここを訪れ、花束を捧げるというのは私にはまだ信じられないくらい大変なことだし、凄いことだと思う。
どれほどのことかと言うと、例えば、日本の天皇が韓国に行き、ソウルのパゴダ公園の3・1独立運動を記念するレリーフに花束を捧げてお参りする、というようなことだ。そんなことは、天皇が万一望んだとしても、日本ではやらせまい。右翼は騒ぎ、内閣不信任くらい出されかねない。中国に行き、同様の地で花束を捧げるというのも出来ない相談だろう。日本がいつになっても胡散臭く思われる理由の一つには、イギリス国王とのこうした態度や行動の違いがあると思えてならない。天皇が行けば問題は解決する、などとは私は考えていないのだが。