某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

朝日新聞の短歌・俳句。勝手な想像。かわいいのもあるな。

2012-09-03 21:45:45 | ぼやき
 自分では出来ないから、新聞の歌壇を見て一人うなずいたり楽しんだりしている。月曜の朝刊が楽しみだ。
今朝の新聞歌壇から。
「安達太良のほんとの空を見上げたら 遠くの雲がくすりと笑った」(厚木市)。智恵子抄を思い出したのだろうが、放射能は目に見えない。見えないけれどあるんだ。安達太良も空も本当は怒っている、と作者は言いたいのだろう。智恵子は「此処にも本当の空はなくなった」と嘆いているだろう。金子みすずは「見えないけれどあるんだよ」とまた歌うだろう。
「放射線に子ども神輿は三時間の制限の中 ばち跳らせる」(伊達市)
「原爆忌みな黙祷に福島を思ふ広島そして長崎」(三郷市)
「ふくしまを世界にはじる広島忌」(東京都)
「無知なのか鈍感なのか日本人原爆忌もち原発忌もつ」(いわき市)馬目弘平さん。
「ホロビユクモノを見て来しまなこ今、コワレユクモノを見つめておりぬ」(福島市)戦中戦後厳しい中を生き抜いてきた女性の怒りと嘆き。
「もう一度もしもう一度逢えるなら抱きしめるだけで言葉はいらない」(東京都)作者は女性。どういう事情かはわからないが、私には新盆の時の気持を言葉にしていただけたように思えた。あるいは大震災後二度目のお盆を迎えてますます募った思いを表現したものかもしれない。

 今年も暑かった。「かきごおりメロンジュースになっちゃった とってもあついよ内野スタンド」(横浜市)甲子園に応援に行った少女の暑い感想。「鮟肝を運ぶ少女の左腕『ありをりはべり』などと書いてある」(大阪市)こっちの少女はアルバイトしながら試験勉強。たくましいね、みんな。「また今度会う口実を作るため宿題ひとつ君にだしおく」少女のかわいい陰謀。
 伊藤園の「おーいお茶」に俳句大賞が印刷されてある。そこにもこんなのがあった。「しゃぼん玉合格したよとつたえます」12歳の男の子。好きな子に言いたいけれど言えなくて、か。同じ12歳でも「おめでとう そういうように櫻さく」と素直に喜ぶだけの男の子もいる。おませとおくて。「桜色美しすぎてちりゆく身」同じ12歳でも女の子は遥かに大人。しかし、受験失敗か?
 今朝の新聞歌壇に戻ろう。同じ情景を歌ったものがあった。どちらも孫のたくましさに目を細めている。「腹ペコの昆虫のごとく気迫見せスイカを食らう四歳の夏」(横浜の人、おばあさんだろう)「西瓜食う孫のまなじり無敵なり」(新潟のお爺さん)。 
 「水着ではどうにもならぬ巨乳かな」(いわき市)馬目 空さん。短歌の馬目さんとこの俳句の馬目さんは同じ人かもしれない。厳しい目と、ちょっとおどけた(まめ くう、か?)優しい目。あるいはご夫婦か。俳句が奥さんのものだったら楽しいな。私がいわきの海水浴場で泳いでいた中学生の頃は、巨乳の女性など全然いなかった。気がつかなかったのか、それとも泳ぐ人が変わったのか。昔は食糧難で巨乳などなかったのかもしれない。
 
コメント
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