某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

耳福。ピアノ演奏会。

2015-10-20 13:35:57 | 楽しいひと時
 ピアノの演奏会に行った。娘のピアノ科同級生7人の研究会。大学同期といってももう子育ての終わった年齢の方々。ベートーヴェンの交響楽(3番英雄、5番運命、6番田園)のピアノ連弾版を弾いた。ピアノ科の人々は交響楽をあまり知らない、と言っていた。だから、余計勉強したいのだろう。面白く、珍しい演奏会だった。聴衆は両親、夫君、友人、兄弟?のみ。昔貴族のサロンで催されたものと同じような贅沢な演奏会だった。違うのは酒が出なかった事だけ。
 いい勉強になった。英雄と運命は鋭く角の立っている音で、まるで太い骨の骸骨が全身をあらわにしているような迫力。こうした骨格に色々な楽器が音をかぶせて、綺麗な流れるような交響楽を響かせるのだ、と知った。がっちりした骨組みの上にかぶさっている綺麗な布。強さと軟らかさ、奥行きの深さ、立体感。これから交響曲を聴くときはかなり違った聴き方がで出来るだろう。半年後にまた発表会をするという。今から楽しみだ。
 田園は全く違った印象。運命ではペダルが殆ど使われず、鋭く角のきっかりした音だったが、田園ではぺダリングも十分でそのままピアノリサイタルの曲目になるものだった。同じ作曲者の曲で、しかも交響楽なのに、それほど違う。天才というのは凄いものだ、と感嘆しきりだった。
 美味しい食べ物屋に「口福」というのがある。それにならっていえば「耳福」(じふく)とでも言おうか。音楽にはまったく素人の私だが、こうしてたまに聴いては「耳福」を楽しんでいる。有難い。
 後の打ち上げで皆が感想を言い合った。私も言ったが、一つ聞きそこなったことがある。「皆さんは本番の時あがりますか」。昨年から体調不十分と時間があわなかった為に吹矢の競技会に出られなかった。先日二年ぶりに大会に出た。あがって、結果は惨憺たるもの。一昨年には優勝した東京都の大会で何と550人中48位。ディフェンディング・チャンピオンどころか参加することに意義があるだけの有象無象。ヒーローが、大部屋のその他大勢になった。何故か、凄くあがって狙いが定まらなかった。ピアノでいえばミスタッチか強弱の取りちがえか。どうやって、そうした「心臓ばくばく」を克服するのか、其れを聞きたかった。特効薬はないのだろうが。
 
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日本国の名前

2015-10-16 13:59:47 | ぼやき
 仏壇の隣に昔親父の貰った勲章と証書が飾ってある。竹下首相の名がある。あまり真面目に見た事がなかったが、先日何と書いてあるのか読んでみた。大きな判が真中に押してあって、「大日本国璽」とある。おや?日本の名前は正式には「大日本国」なのか、と思って、憲法をみた。なんと、国名を規定する条項がない。アイルランドの憲法には「国名はエール、または英語でアイルランド」と第四条に規定してある。正式国名が二つあるのはおかしいが国のおかれた事情から仕方がないのだろう。とにかく、はっきりしている。それに比べて、日本の憲法では何も規定していない。あちこちに日本国とあるからそれが正式国名という事なのだろう。大日本国というのは勲章を授けるときにだけ使う国名なのだろうか。もし安倍首相が「大日本国」と発言したら大騒ぎになるだろう。
 先日街の集会で、選挙権が18歳になった事について「憲法で20歳と決めてあるのに何故国民投票をしないで替えたか」と怒っている人がいた。その時は私も憲法を良く知らなかったから、なるほど、と思ったが、家に帰って調べてみたら、憲法にはなくて、公職選挙法に20歳とあった。憲法改正の国民投票は必要なかったのだ。知らなかったから、なるほど、と思ってしまった。俺は、頼りない護憲派だな。
 ついでに書くと、皇室典範では成人は18歳になっている。皇族は庶民より発育が早いのだろう。こういう意地悪な知識だけは昔から持っている。嫌な奴だな、俺は。
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カテリーナとナターシャ。バンドーラ奏者・歌手。

2015-10-12 15:44:56 | 原発事故と音楽






先日大和駅前のお祭りに行った。平和祭りだが、わざわざPeace Festival という。まさか、平和というと政治的だと思われるからではなかろう。横文字の方がカッコいいのだろう。タイやウクライナの食べ物も売っていて美味しかった。減量中だからあまり食べられず残念だったが。もうけたのは、カテリーナ グジーというバンド―ラ奏者で歌手の方の演奏が聴けた事。写真の上がカテリーナ、下がナターシャ。ウクライナの歌をバンド―ラを弾きながら歌った。「涙そうそう」などの日本の歌も歌った。綺麗な声で感心した。例によって後ろや脇のおば(あ)ちゃんたちがべちゃくちゃ喋りまくっていて腹立たしかった。聴いてもいないのに終わると拍手する。馬鹿な連中だ。あまりうるさいから途中から椅子席の外に立って聴いた。
 彼女は幼い頃チェルノブイリの事故に遭い、日本にのがれてきたら福島の事故に遭ってしまった。福島の救援、復興支援に尽力して下さっている。
 前に書いたナターシャ グジーというバンド―ラ奏者で歌手の方と姉妹で、演奏活動をしている。どっちが姉さんなのかは知らない。ナターシャの方が前から知られているから、多分カテリーナが妹なのだろう。美人姉妹。楽器バンド―ラの奏者は日本に二人しかいない、と言っていた。この姉妹だけということだろう(一緒にいた男は「日本人も一人いる」と不満そうだったが。)支援活動に心から御礼申し上げたい。
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畏友藤田和巳君逝去

2015-10-09 13:34:17 | 凄い男
 大学同期の友人藤田和巳君が亡くなったと新聞でも知った。86歳。同年だと思っていたが、1歳年上だった。彼は凄い。父親は王子製紙の常務で、彼も王子製紙に入社した。1953年。その前年の4月にはメーデー事件で共に警官のこん棒に殴られて血だらけになり、眼鏡を壊されてうろうろ逃げ回った。だから王子製紙に採用された時は皆で大喜び。私立探偵が会社に依頼されて身辺調査をしているから気を付けろ、と皆でかばって学生運動に彼が近づかないよう注意していた。無事入社した数年後(1958年)有名な王子製紙争議がおこった。1958年7月から12月まで144日の大争議。彼は春日井工場にいて、教宣部長になり、争議のリーダーで大活躍した。幼いおじょうさんが鉢巻をした勇敢な写真などを送ってくれた。しかし、間もなく会社が第二組合を作り、大学卒業者は彼ともう一人を除いて全員第二組合に移ってしまった。争議終結後、彼は大阪支社の庶務課に左遷され、以来何と定年退職まで庶務課の一番下の身分におかれ、豊中市にある会社の寮の管理人をしていた。しかし、第一組合は少数だが残っていたから、彼は最後まで第一組合役員を続け、賃上げその他の交渉を頑張っていた。娘さんは京都の大学で自治会長を務め、息子さんは大阪市大で活躍した。奥さんも上方芸能を支援し雑誌を刊行していた。
 京都の学会に行った時、駅の食堂でばったり出会った事がある。東京の本社でコンピュータ処理の講習があって、初めの出張だと。「出張費がでたからうまいものを食おうと思って」と。庶務課でいつも一番下の給料で全然上がらないから「たまにはⅠ号俸上げろ、と言ったら上がった。だけど翌年から新入社員の給料もがそこから始まったから、とうとう俺より下はだれもいなかった。」と笑っていた。
 これほど露骨ないやがらせを「大会社」がしているとは!それに耐え、第一組合を最後まで支えた。定年で組合員数はへり、多分彼が定年になった頃はもう消滅寸前だったろう。今はもうないかもしれない。最後まで節を曲げず一生を見事に貫いた男。凄い男もいるものだ。
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