某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

子供達は良い俳句を作る

2012-12-10 00:33:19 | ぼやき
 前にも書いたが、「おーいお茶」という緑茶のペット・ボトルの紙に俳句が印刷されている。それが読みたくて時々買う。良い句がある。
1)「じじの家とまりたいけど寒すぎる」(11歳男子)
2)「転勤の父にも出そう年賀状」   (14歳男子)
3)「電線の五線譜伝う五時の鐘」   (14歳男子)
4)「手をつなぎ力加減を気にしてる」 (12歳女子)
5)「土の中ありが迷路を建設中」   (13歳男子)
 1)やられたね。孫たちは気密性の高いマンション暮らしだから暖房が利いて冬寒くない。夏は涼しい。私のような爺の木造家屋は隙間風だらけで寒く、暑い。その方が耐性が出来て風邪をひかないんだ、などと痩せ我慢しても説得力はない。嫌われるだけ。
 2)けなげな中学生。寂しさをこらえて大人の迎春。
 3)女子の句かと思ったら中学生男子だった。今の子は男女を問わず楽譜を読めるんだ、と改めて感心した(読めるかどうかではなく、想像力の問題かもしれないが。)昔、シューベルトの伝記映画があって(「未完成交響曲」)、小学校教師のシューベルトが算数を教えていた。2*1=2、2*2=4と黒板に書いたとたんに、ひらめいた。答えの2と4の間に/を引き、4分の2拍子にして、黒板(何故か五線譜用に線が引いてあった)に音符をバリバリ書いてゆく。見ていた生徒は、曲が出来上がったところで、それを歌う。「童は見たり 野中のバーラ・・・」と。勿論ドイツ語でうたったが、凄く感心した。ドイツの子供は楽譜が読めるんだ、見てすぐ歌えるんだ、と。いやいや、なんと素直だったことよ。映画を真実と信じて疑わなかった。もう大学生だったのに。楽譜を読めないという自分のコンプレックスが、この素直な感激を生んだのかもしれない。
 4)これは男の子の句かと思ったら女の子だった。運動会のダンスだろうか。それともちょっとおませで男の子と手をつないで帰ったのだろうか。かわいいね。ちょっとドキドキしたかな。
 5)多分利口な子だろう。しかし、観念的。想像の産物だ。悪くはないが。私は彼より二歳若い時に、透明な広口瓶に土を入れ蟻を沢山入れて、土中に埋めておいた。やがて、立派なありの通路が壜の内側に沿って幾筋も出来た。途中で掘り出すと駄目になると思ったから、我慢に我慢を重ね、ようやく成功した。ほぼ同じ年頃の男の子だけれど、此の作者は多分想像しただけで見ていないだろう。図鑑が作句のヒントかもしれない・・・。何も俺がむきになって「観念的」だの「見てない、唯の想像の産物」などと言うことはないのに、まるで対抗心を燃やしたみたい。駄目だね。
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陳情可決

2012-12-06 00:19:33 | ぼやき
 隣の市「綾瀬」で今年日本人女性が厚木基地の米兵に乱暴され、それを大和警察がなかなか公表せず、逮捕もしなかった。朝日新聞には、「オスプレイの問題などもあるので人心を刺激してはまずい」というどこかからの「示唆」もあって警察が公表を控えていた、などという記事が載っていた。勿論当局は否定しているが、その米兵を逮捕したのはごく最近。3カ月以上たってから。日本人なら即座に逮捕されるのに。
 沖縄では近頃繰り返し米兵による凶悪な犯罪が起こっている。増えたのか、それとも日本のマスコミが前ほど遠慮せず記事にするようになったのか、分からないが。自粛だの夜間外出禁止だのが、ろくに守られていないことは明白になっていて、米軍当局に犯罪防止をやる気がないのだ、と、かなりの人が思い始めている。「要するに奴らはまだ日本を占領してると思っている。占領軍なら何でも出来るんだ」と昔の兵隊さんは言う。自分の経験らしい。
 こうした米兵の凶悪な犯罪の多発に、温厚な銀行員だった畏友Mさんがとうとう頭にきて「米兵犯罪の徹底的根絶を米国政府、日本国政府に求める陳情書」というのを書いて、大和市議会に提出した。1人では迫力がない、というので、私他計3名もこれに加わった。
 今日(11月5日)市議会の総務常任委員会というところで、これの審議が行われた。流石にどの委員さんも「こんなの駄目」とは言わない。米軍や政府は良くやっている、という発言はなく、最後は全会一致で賛成になった。中には「米兵だからというのではなく、市民を犯罪から守るという趣旨に賛成だから」とわざわざ断る賛成論もあったが(多分、米軍基地反対と思われては困るからだろう)、私はそれでも良いと思った。いずれ本会議にかかるのだろうが、そこでどうなるか。「基地反対という本音が見え透いているから、こんな陳情には反対」とか、「日本は米軍に守られているのだから、日本の女性が少しくらい犠牲になっても仕方がない」などと発言する議員がいたら面白いのだが、そこまで言う馬鹿はいまい。しかし、腹の中でその位のことを考えている議員はいそうだ。そういう人たちは黙って反対票を投ずるかもね。
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またまた誤記事の訂正 「水割り」

2012-12-05 22:44:34 | ぼやき
 申し訳ありません。「水割り」の話のなかで、映画「ライアンの娘」の監督をアメリカ人と記しましたが、デイヴィッド・リーン監督はイギリス人でした。アメリカ人だから、まちがってウイスキーの水割りを出した、と思っていましたが、友人から、リーン監督はイギリス人だよと教えられて愕然としました。思いこみで書くと間違えますね。
 この監督の映画は何本か見ています。「アラビアのロレンス」「戦場にかける橋」。寡作だけれど良い映画を作っている、といわれますが、その通りで、私でも少なくとも4本は見ている。「逢引き」という映画もあって、これは中身を全然覚えていないのに、題名だけ記憶しています。大学の英語の授業で、先生が Brief Encounter(映画の原題)を「逢引き」と訳したのは名訳だね、とおっしゃったのを何故か鮮明に覚えているからです。私なら「短い逢瀬」とか「つかの間の出会い」などと直訳して、「芸がねえな」と笑われるところです。
 それにしても、イギリス人の映画監督が、何故1916年のアイルランド西海岸という辺鄙なところの昔の話に、いきなり水割りを登場させたのか、不思議です。ひょっとして、アイルランドでは昔から水割りを飲んでいて(貧乏だから?)、それが移民を通してアメリカではやったのか?まさか、そんなことはないですよね。
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会津の女性たちと徳富蘇峰、蘆花。

2012-12-03 00:00:11 | ぼやき
 来年のNHK大河ドラマが会津武士の娘新島八重の物語になるというので、早速書店に彼女の伝記風読物が並んでいる。それらを眺めながら思いだしたことがある。
 同志社の学生たちの中には尊敬する大先生新島襄と対等に暮らす夫人、八重をけしからんと思う者が多かった。人力車には先に乗るし、日ごろ全く平等で、普通の日本女性のように亭主をたててその陰にひっそりと暮らすという可憐な風情が全くない(と学生には見えた)。弁論大会で、学生だった徳富蘇峰が言葉を極めて八重を罵倒し、新島大先生をコケにする天下の悪女と酷評した。蘇峰は国家主義のまやかし右翼歴史家だと私は思っているが、まさか、これほどでたらめだとは思っていなかった。本当の理由は何だかわからない。熊本人だから、九州の男尊女卑をそのままひけらかしたのかもしれない。しかし当の新島は、八重のそうした自立した女傑ぶりが大変気に入っていたらしく、美人ではないが大変立派で私の一番気に入っている女性、とアメリカの友人に書き送っている。
 同じ会津武士の娘でアメリカ留学の女性第一号になった山川捨松(津田梅子らと一緒に、岩倉具視の使節団に同行してアメリカに留学した)は蘇峰の弟蘆花にひどい目にあわされている。蘆花の小説で有名なのは『不如帰』(ほととぎす)だが、あの女主人公浪子の義理の母親で、まるで鬼婆のように権柄づくで人情味のない、嫌味な女性は、山川捨松(大山巌元帥夫人)がモデルだと、当時は誰にでもわかった。したがって山川(大山)の行った大変に多くの新しい良い仕事(例えば日本最初のバザー、看護婦の養成、津田塾を梅子ととともに作り、女子英語教育に大変な貢献をしたこと等々)も山川の仕事としては殆ど無視されてしまっている。
 何故徳富兄弟があれほどひどく会津の女性を貶めたのか。昔から気になっているが、今だに理由は分からない。

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