某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

長い冬眠のあとに

2011-05-01 23:00:11 | ぼやき
 あまりにも色々の事があり過ぎて、長いことブログを書けませんでした。これからもどの程度かけるか分かりませんが。書きたいことは山ほどたまりました。少しずつでも吐き出したいと思っています。
 昨日尊敬する先輩の葬儀がありました。82歳。ちょっとお腹の具合が悪い、と夕食を摂らずに寝て、夜中に冷たくなっていたそうです。家族が気がついたのは心臓停止一時間後位。それまでは毎日普通の生活だったそうです。亡くなったことは、本人もまだ気が付いていないでしょう。凄いことですね。彼は飛行機乗り。特攻隊の生き残りでした。
 今月初めに吹矢の昇段試験を受けました。五段合格。これで、入会以来、二級合格から五段まで、受験資格が出来るたびに受けて、全部合格。2年6カ月で五段に駆け上がりました。80歳の老人?の業績としてはかなりのものです。自分でいってりゃ世話ない。日本スポーツ吹矢協会の会員24000人の中でも珍しいらしく、先日協会本部の方々の前で、「私と吹矢」という話をしました。新米がよくも、恥ずかしげもなく、偉そうなことを話したものだ、と自分ながら呆れています。

 3月11日の大震災とそれによる福島原発の大故障で、福島県浜通りは大変な被害にあっています。私は戦中戦後あの双葉町の双葉中学(現双葉高校)に通っていました。今は、双葉町全体が避難地域ですから、高校生も他の地域に、サテライト高校とか言う分散入学をしています。戦時中中学生たちの勤労動員で作った飛行場が、学校の先にありました。特攻訓練をしていたのでしょう。敵の艦載機が襲ってくるときは日本の飛行機は全然飛びませんでした。空襲がおわると日本機が飛ぶ。敗戦後、教室には空き缶が山になっており、柱には無数の刀傷がありました。命拾いをした特攻隊員が 暴飲暴食のあげく校舎をめちゃめちゃに壊して回ったのです。
 やがて、其の飛行場のあるあたり一帯は東京電力のものになり、原子力発電所ができました。建設反対をとなえる私たち若者に向かって、町の有力者たちは「反対する奴は電気をつかうな」と居丈高でした。かなりの人々がお年で今は亡くなっていますが、ご丈夫な方々は東電を恨んでいます。今さら、とも思いますが、変わり身の早いのは有力者の常。もう少ししたら、また「でも電気は必要だから原発はやむをえないよ」と言いだすでしょう。あさましいくらい現実的。今日はここまでにします。
コメント
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