某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か

2011-05-31 18:04:47 | ぼやき
 昨日鎌倉文学館に行った。前庭に立派な裸婦像が建っていた。まず、同行の友人とバチバチ写真を取り、やおら作者の名を確かめるとH.TAKADAとある。ありゃ、高田博厚さんじゃないか、道理で立派なわけだ、とおのれの「審美眼」の確かさに気を良くして中に入ると、ロマン・ロランの首の彫刻があった。これも高田博厚。そうか親交があったんだ、とまたまたびっくり。
 鎌倉文士の数の多さに驚きながら一回りし、米原万里さんの回顧展に入る。56年の生涯をたどる一室と著作や諸活動の写真を展示する部屋との二室にわたって詳細に紹介してあった。生き急いだような短い生涯。癌は全く人類の敵だ。
 彼女は、同時通訳を始めたころ、全部を日本語にするのに苦労したそうだ。すると、「分かるところだけ言えばいいんだ」と教えられ、それから楽になったという。
 英語のことわざに「翻訳は女に似ている。美しければ忠実でなく、忠実ならば美しくない」というのがある。美人はみな亭主を裏切るとか、亭主を裏切らないのはブスばかりだ、などと私が考えているわけではない。イギリス人の「ユーモア」。近頃はやりの「超訳000」というのは、この美人型。どうすればそうなるか、と首をかしげたくなるほど原文に不忠実な翻訳だが、美しい日本語で読みやすい。良いことに、大筋は原文通り。それと比べれば、「古い」岩波文庫の翻訳書などには、原文を読まないと意味がとれないほど、わけのわからぬ日本語が多い。昔の『資本論』訳やカントの翻訳書など其のいい例だ。あれはまったく「(原文に)忠実な醜女」としか言いようがない。万里さんの通訳は多分美人型だ。ゴルバチョフ、エリツイン、ロストロポーヴィッチ、サファロフなど旧ソ連のトップの人々や事実上追放された人々が、ともに万里さんの通訳に満足したのはそのためだろう。
 彼女の経験が『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』という最初の本に結実している。このタイトルは著者が女性だから使えたのだろうな、と私は思っている。

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2 コメント

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行きたかった (輝く次男)
2011-06-02 10:54:53
お誘い受けていたけど所要で残念。鎌倉散策、文学館と良かったと聞きました。美と醜 なるほど。
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残念でしたね (総領の甚六)
2011-06-04 02:13:06
 コメント有難うございました。やっとコメントが入るようになりましたね。先日の鎌倉は台風一過で気持ち良かったです。女性陣は長谷でケーキを食べに別行動。もし御一緒できたら私たちもどこかに寄れたでしょうが、素直に帰りました。一寸調子が狂った。
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