某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

誰の骨?ノーベル賞詩人W.B.イェイツの墓に眠るのはだれ?

2015-07-19 22:19:21 | 苦肉の策
 アイルランドの詩人W.B.イェイツの作品を愛読し、ゆかりの地スライゴを訪れる人は多い。毎年夏に開催されるイェイツ・サマー・スクールには日本の学生も多く参加する。皆イェイツの墓に詣でる。詩人を尊敬するあまり、お墓からイェイツの声が聞こえたという人さえいる。
 7月19日のアイリッシュ・タイムズには、この墓にイェイツの骨は無い、あるのは多分名も知らぬフランス人、それも何人もの骨をゴタマゼに組み合わせた一体だと言う文書が発見され、その辺の事情が明白になったという記事が出ている。
 イェイツは1939年にフランスでなくなり、「この地に埋葬し、一年もたって新聞がもう忘れた頃スライゴに送れ」という遺言に従って埋葬された。戦争で移送が思うようにならず、ようやく、1948年9月にアイルランド海軍により、スライゴに運ばれた。軍艦から水兵さん達が棺を陸揚げする様子や埋葬の様が動画で残っていて、アイリッシュ・タイムズの電子版に掲載されている。
 ところが、関係者の話では、没後一年もするとイェイツの骨は共同墓所にまぜこぜにされていたという。従って、遺骨を故郷に返す話が出ても、探しようがなくなっていた。今回「発見」発表された文書(直接関係した外交官による)では、仕方がないので、体の特徴にあわせて、それらしき骨を集めたという。例えば頭の大きな人だったから大きな頭蓋骨を拾い、ヘルニアだったから、出るのを抑える器具を探す(亡くなった結核患者が胸に付けていた鉄の器具を拾って入れたという。子息の話ではヘルニアを抑えるためイェイツが使っていたのは革製の器具だったというが。)まるで天才医師フランケンシュタインの作業だ。
 本人の遺骨を収拾することが出来ない状態だという事は最初からわかっていたらしい。その為遺族に移送を諦めるよう進言する人も当時から既にいた。しかし、遺言や遺族の希望もあって、1948年9月に移送された。その後も繰り返し疑問が出されていた。それに答えて、「遺骨は本人です、40年もたっておかしなことを言われるのは心外です」という息子たちの記事が1988年にアイリッシュ・タイムズに掲載されている。
 何故今日確定的な記事が出されたか。文書の発見により遺骨のことはかなり前からわかっていたが、イギリスのチャールズ皇大子夫妻がイェイツの墓に詣でることが既に決まっていた。まさか、その前に発表してチャールズに偽の遺骨とわかったものを拝ませるわけにはゆかない。だから、墓参り(5月)が済むまで発表を遅らせた。多分政府の方針だろう。今頃チャールズが怒っているかもしれない。「アイリッシュめ、俺に滓を拝ませやがった」なんて。同席した役人たちはおかしかったろう。もう当然知っているから。今年はイェイツ生誕150年。墓前祭は出来ないだろう。どうするのだろう。もっとも、遺骨の無い墓はいくらでもある。早い話、日本中の墓地に無数にある戦死者の墓には遺骨は無い。良くて石ころ。それでも毎年線香をあげ花を飾る。イェイツの墓には誰かの骨があるのだからまだ良い。詣でる人の気持ち次第だ。だから声も聞こえるのだ。フランス語だったかな?
 
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