某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

聖パトリック大聖堂に眠る経済学者ー日本への経済学導入

2015-08-26 01:13:18 | 日本最初の英文経済学入門書

 ダブリンの聖パトリック大聖堂にはリチャード・ホィトリの棺があり、生前の彼に生き写しと言われる像がそこに横たわっている。何度か写真を撮ったのだがこれが一番良い出来。残念ながら私には高すぎて上から写せない。(また余計なのが一枚ある。2度クリックしてしまうのだろう)
 ホィトリはオックスフォード大学第二代経済学教授(Political Economy )、ダブリン大主教(英国国教会)、アイルランド教育委員会委員(長)=文部大臣並み、ダブリン大学トリニティ・カレッジへの経済学教授職(Chair)寄贈者=アイルランドの経済学の父。大ベストセラー『若い人への経済学入門』の著者。彼はアイルランドの国民学校(National School=小学校)の教科に、国語、数学と並んで経済学という教科を設け、此の自分の著書を教科書に載せた。ほんの少し違うが殆どそっくりといってよい。残念ながら先生たちが経済学を知らず、まして子供たちはチンプンカンプンだったので、money だのcoinだのという単語を覚えるのがせいぜいだったらしい。1840年代頃からの試みだから仕方ないかもしれない。ホィトリー大先生は「経済学を学べば、世の中の仕組みが分かって、不平不満は持たず騒動などもしなくなる」と信じていたらしい。(昔、日本で学園紛争というのがあった。経済学部は殆どどこも紛争の外にいた。ホィトリーが知ったら喜ぶだろう)
 こんな話をアイルランドの小学校(今でもnational schoolという)の先生にしたら、彼女は Poor Children!(可哀そうな子供達!)といった。経済学などという夢の無い俗なものを教えられる子供達はかわいそうなのだ。不思議とアイリッシュは誰もこの教育史を知らない、大学生でも。定年退職したおっさんにも教えた。彼は「今こそアイルランド人は経済学を学ばなければならない」と演説を始めた。ケルティック・タイガーの時期。空前の好景気でおっさんたちは鼻息が荒かったのだ。
 所変わって日本、明治の初め。何と明治2年に、沼津兵学校(徳川兵学校とも言う)で英語と経済学の教科書として使われた英文の経済学入門書が、このアイルランドの小学校教科書にある経済学だった。そっくりそのまま。多分横浜あたりで英語のわからない印刷職人が活字を拾って作ったのだろう。文末の単語の切り方がめちゃくちゃ。the でも andでも 勝手にちょん切っている。だが、トリニティ・カレッジで読んだ教科書と寸分たがわない。歴史上はじめての、日本で印刷された英文の経済学入門書。いったいこれは誰が書いたのだ、と長く学界の謎だった。これの種本をダブリンで見つけた時は嬉しかったな。まるで頭の中が青空になったみたい。
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コメント
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