某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

鳥の歌。スコットランドの思い出。

2020-07-04 16:28:30 | 心を打つうた
 コロナのお陰で親子劇場例会の企画が変わり、劇にかえて、ピアノとチェロのコンサートが行われることになった。プログラムに「鳥の歌」も入っていて、あることを思い出した。
 1972年の秋、スコットランド一周のバス旅行をした。相席になったのがニューヨークから来たプレスビテリアン(長老派)の若い聖職者。「プレスビテリアンのミニスタ―」と自己紹介したので最初はびっくりした。プレスビテリアンには大臣もいるのか、ずいぶん若い大臣だな、と。聖職者のことで、牧師と思ってよい、と教えてくれた。一週間毎日夕方一緒に散歩した。ある日静かな屋敷町を歩いていたらどこからかチェロの音が聞こえてきた。聴いたことのある曲。二人で顔を見合わせ、同時に「鳥の歌!」と大声を出した。
 私は、前年10月の世界国際平和デー演奏会でカザルスがアンコールに弾いた鳥の歌を覚えていた。「カタルーニヤの鳥はpeace,peaceと鳴く」という彼の声も。伴奏している8人くらいの女性チェロ奏者が皆涙を流しながら弾いていたのもよく覚えている。国連本部での演奏会で、テレビ中継だった。そのことを言うと、ミニスターも同じ放送を視聴し感激したという。ニューヨークと日本で、同じ放送を視聴してともに感激し、記憶していたのだ。世界は狭い。良いものは良い。音楽は良いな。


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福島復興コンサート。キリテ・カナワと歌う高校生合唱団

2015-11-07 17:35:08 | 心を打つうた
 つけっぱなしのテレビがキリテ・カナワと言った。おやと思って見たら、キリテ・カナワの福島復興コンサートを放送していた。ニュージーランドで大地震があったのは、東日本大震災のすぐ前だった。彼女はあの時の日本の救援活動のお礼も兼ねて、福島復興の演奏会を希望していたという。沢山の被災地高校生の合唱団が彼女と同じ舞台で熱唱した。まだコンサートの写真がみつからない。そのうちに。







 磐城高校の学生たちと一緒に写っている彼女はやさしいお婆さん。若い頃はヨーロッパ風の美女だったが、いつの頃からか、ニュージーランドのマオリ族の逞しさを顔に刻みつけるようになった。唯綺麗な歌をうだけの歌手ではない。一番好きな歌手は?と聞かれるといつも私はキリテ・カナワを挙げる。
 音楽会の終わりに、高校生と一緒に「ふるさと」を歌った。二番を独唱した。日本語の歌詞を見事にきちんと歌った。客席の皆さんも歌った。高校生の中には涙を流しながら歌っている人も沢山いた。終わって舞台から彼女が去る前に、高校生が「蛍の光」を歌った。驚いたカナワはそのまま立ち止まって、じっと合唱団に向き合っていた。今度は多くの人が涙を流していた。感動的なシーンだった。
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筑紫のきわみ陸(みち)の奥―蛍の光再々論

2015-04-24 15:05:23 | 心を打つうた
またまた「蛍の光」でしつっこいが、長く気になっているので、ここらで決着をつけたい。小学生の頃覚えた「蛍の光」の歌詞には、前に書いた「台湾・・・」と一緒に「筑紫のきわみ 陸(みち)の奥 海山遠くへだつとも・・・」というのがあった。これは九州から東北の青森までだから分かりやすいし、これが日本だ、と小学生でも実感できた。北海道というのは、地理で習ったし、ニシン・タラ・鮭・ます・カニ・こんぶ、と産物を暗記させられていたから知ってはいたが、どこか日本とは別の感じだった。いわば、なんだかちょっと西洋っぽい。懐かしさを感じさせない地域という感じだった(私だけだろうが。)だから本来の日本は九州から奥州まで。最初の「訳者」らしい稲垣千頴もそのような思いであったろうと勝手に想像している。
 ここまで書いて、念のため岩波文庫の『日本唱歌集』昭和33年で確かめてみた。明治14年の『小学唱歌集(初)』には4番まであって、3番に「つくしのきわみ、みちのおく」とあり4番に「千島のおくも、おきなわも、 やしまのうちの、まもりなり」とある。これこれ。今は、この領土問題に触れそうな3番と4番は歌わなくなっているのだ。まして、だんだんと広がっていった「植民地」を歌いこむような歌詞はご法度なのだ。それにしても文部省の役人は大変だな。小学生の唱歌にも日本の植民政策をうたいこむ。時節にあったように歌詞をいちいち変更する。今の教科書検定問題と同じ事が、きめ細かくスピーディに行われている。子供は歌で覚えるから、これは大変に効果的な教育だ。おっかない事。
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終戦日 兄に供えし にぎりめし

2014-09-17 01:52:19 | 心を打つうた
 表題はしみじみとした、心を打つ句だ。戦死したお兄さんに供えたのだろう。私にもおにぎりの記憶がある。敗戦後間もない9月のある日、学校帰りに立ち寄ったお家で、銀しゃりの大きな塩むすびを御馳走になった。あまりの美味しさに、眼がうるみ、顎がジーンと痛くなってきた。この句の作者もおにぎりの美味しさ有難さを知っている世代の方だろう。
 「敗戦忌 山河も荒るる この国の」敗戦への反省も乏しく、山河も荒れて。と金子兜太は評している。
 「柿食えば 清水寺の 鐘もなる」子規の「名句」をおちょくったような句。芭蕉のおかげか、子規のせいか、俳諧のこうした軽みとおもしみが近頃の句にはほとんどない。短歌と同じくみな真面目で厳しい。悪い事ではないが、もうちょっと遊び心があっていいと思う。
 「アラン島にて贖(あがな)いし 細き笛5ユーロ90 やわらかく吹く」 アイルランドのティン・ホイッスル。私も買った。ブリキの細い笛で高く鋭い音がでる。それをやわらかく吹くのは人柄だろうか。30年も前に私は買ったのだか、ほとんど同じ値段だ。それにしても、わざわざアラン島で買うこともあるまいに、面白い人だ。アラン・セーターならまだ分かるが。
 昨日の朝日歌壇俳壇にも、優れた短歌や俳句がおおくあり、社会派にも共感するものが沢山並んでいた。それも紹介したいが、上のような句や短歌にも心をひかれる。秋の愁いか。
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