某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

石の上にも三年

2011-12-31 16:44:11 | ぼやき
 早いもので、吹矢の「笑顔せたがや支部」が出来て3年ちょっと過ぎた。「石の上にも三年」か、と思ったとたん、また、中学時代のことを思い出した。英語の授業。
 敗戦翌年の1月、私は中学3年生で、英語(リーダー)の授業は国語の先生が担当しておられた。英文法と英作文は別の先生。今よりも英語の授業はきめが細かく授業時数も多かったようだ。
 Stick to your bush というタイトルの課が一番記憶に残っている。何故なら、これを先生は「汝の藪を固守せよ。あー、石の上にも三年」と訳したからだ。授業が終わってからは大変だった。「どこに石って書いてあるんだよ」「藪と石では全然違うっぺ」「あの先生は坊様だから何でもお経にすんだっぺ。」 敗戦後先生の権威は地に落ちたが、英語と数学は私ども生徒が逆立ちしても先生にかなわないから、まだ尊敬されていた。それが、石も年数も書いてないのにそう言ってけろっとしているから、何だこりゃ、と騒ぎになったのだ。後で、To be or not to be,の時にも「死すべきか、ながらうべきか」と先生が訳したので、また、どこに死ぬだの生きるだのって単語が書いてあるんだよ、と騒ぎになったが、これは昔からそう訳されている、という仲間の物知りの一言でわかったような気になってしまった。 
 先の課の話の筋は、森に野いちごを摘みに行った子供たちのうち、あるグループは沢山ありそうな藪を探し回って結局あまり採れず、一つの藪で丁寧に採ったグループが結局沢山採ってきた、という話で、父親?に

此処まで書いたら、インターネットに接続できません、となって書けなくなった。あわててjcomに電話したら「此の電話は使われていません」と。どうしてこうなるの!といやになった。幸い翌日娘にjcomの番号を聞いて、上手いこと修復できた。やれやれ。

(承前)父親?に説教される。この授業の数年後、大学のドイツ語の教科書で、なんと同じ話に出会った。シュトルムの小説『インメンゼー』(邦訳、みずうみ)の一節。いや懐かしかった。俺はこの話を中学でもう習ったんだ、と一人で喜んでいた。これは有名なもので、英語でもStick to your bush.と熟語風に使われている、と後で知った。
 「笑顔せたがや」は石ではない。むしろ、ふかふかで座り心地の良い座布団だ。お陰で、楽しく練習し、毎回楽しく飲んで、吹矢を楽しむことが出来た。3年が一区切りなら、これからは第二の3年。さて、次にまた「石の上にも三年か」と思うときに、六段になっているかどうか。叶わぬまでも、目標だけはでっかく持とう。大晦日のホラかな。
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お詫び

2011-12-26 21:41:43 | ぼやき
 駄目だと思って、復活失敗と「某年金生活者のぼやき2」に書いたら、また此の元のブログがつかえるようになりました。わけがわからないけれど、この方が馴れておられる方が多いので、ここに一つ追加しました(クリスマスの話題なので、遅すぎないように、と。)2の方には先程「皇国の訓導たち」という芝居の感想を書きました。ご覧頂ければ幸いです。
 これからは、基本的に此処に書きます。しかし、いつまた書き込めなくなるかわからないので、当分の間両方使えるようにしておきます。そのうち、此処と2とでは話題の種類をかえる、とか、あるいは唯の安全装置として取っておくとか、考えます。
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百年前のサンタさんへの手紙

2011-12-26 21:31:00 | ぼやき
 アイルランドのダブリンに、100年前に3人の子供さんがサンタさんにあてた手紙があるそうだ。アイリッシュ・タイムズの記事。1911年に書かれ寝室の暖炉の煙突に入れられていたという。サンタさんが煙突から入ってきて最初にみつけられるように。発見されたのは1992年。当時の住人が記念にとっておいたらしい。
 センサスから、この子どもたちはハワード家の子供さんで、リリー13歳、ハンナ10歳、フレッド7歳とわかっている。真ん中の折り目のところが少し焦げているが、後は奇跡的にきれいに残っていて良く読める。赤ちゃんのお人形が欲しい、水を通さない頭巾がほしい、手袋も。有平糖のお菓子。金のペニーと銀の6ペンス。などとかわいいおねだりがきれいな字で書かれている。サンタさんへの手紙もあって、Good Luckとある。多分一番年上のお姉ちゃんが書いたのだろう。サンタさんにも、その代理のお父さんにも見つけられなかった手紙だから、百年前のクリスマスでは此の子たちは悲しい思いをしたかもしれない。それにしても、よくまあ焼けずに残ったものだな。
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復活!

2011-12-26 00:32:35 | ぼやき
 ブログに書き込めなくなって「某年金生活者のぼやき2」を立ちあげましたが、諦めきれずに、しつっこく前のを出そうと工夫しました。なんと今それが成功!粘ってみるものですね。「老いの執念」でしょうか。今度は、新しく立ち上げたのを閉じなければならない。忙しい、とぼやく度に「自分でいそがしくしているんでしょう」と孫にからかわれますが、本当にそうでした。何ともお恥ずかしい。これも書き込みをさぼっていたバツです。心を入れ替えてコツコツ書くことにいたします。書けない?書かない?理由の一つは、パソコンの部屋に暖房がないから。今まではそのくらいなんでもなかったのですが、ちょっとサボリの口実になったのかもしれません。ブログを復活させようと懸命になっていた間は寒くありませんでしたから。いやいやお騒がせしました。道化の独り芝居でした。
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ラファエロ・ダヴィンチ・ミケランジェロ

2011-12-20 21:50:21 | ぼやき
 大天才ばかりで、私には何も書く資格はないのだが、たまたま今日知ったことが面白かったので忘れないうちに一筆。ピカソは「上手く描くというだけならラファエロ位はいつでも描ける」と既に16歳位の頃に豪語していたと昔読んだことがある。私は何も知らない。ラファエロが大変な天才で、ダヴィンチとミケランジェロから影響を受けた、と辞書類に在るのを漠然と知っていただけだ。
 今朝たまたまTVでラファエロとこの二大巨人の関係を解説しているのに出っ食わした。ダヴィンチの工房でラファエロはモナリザその他多くのダヴィンチの絵を見事に模写し、ダヴィンチも彼の才能を愛して技法を教えたという。今でもルーブルでは画家が模写をしている。良い勉強法なのだろう。しかし、ミケランジェロはあまりにもうまく模写するラファエロを疎ましく思い、嫌ったという。そのせいか、ヴァチカンにあるラファエロの壁画の中の群衆の一人として書きこまれているダヴィンチの顔は立派だが、ミケランジェロは、くすんださえない老人になっている。そう思うのは私の偏見かもしれないが。
 殆どあらゆる分野で卓越した業績を残したダヴィンチの寛容、スケールの大きさと、何かの時に感じるミケランジェロの職人的偏狭さが、ラファエロに対する二人の態度に良く見えて、なるほど、と納得した。
 勿論、私はミケランジェロを低く評価しているわけではない。逆だ。特に、ヴァチカンの創世記にもとずく壁画は今でも頭に焼き付いている。あの中でも特に、最後の審判を下しているキリストの若きプロレス選手のごとき巨体には圧倒された。あれは、私の中では長崎の平和祈念像の半眼の若い男性の巨体とダブってしまう。あれのモデルは力道山だとか、別の選手だとか色々噂されているらしいが、審判を下す怒れるキリスト、と理解するのが一番ふさわしいと、私は思っている。
 
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