某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

渡辺えりさんと9条トーク「核も戦争もない世界をどうつくるか」

2009-11-30 15:56:20 | ぼやき

と き:12月11日(金)18:30開場 18:45開始
ところ:早稲田大学大隈講堂
内容 :渡辺えりさんと9条トーク「核も戦争もない世界をどうつくるか」     
          高校生からのメッセージ。学生によるパフォーマンス
入場無料
協力依頼 内容
・企画当日の参加
・実行委員会へのカンパ(会場代などに200万円 必要としている)
・パンフ、ビラ、ポスターなどの購入・集会参加の呼びかけ(企画などで私たちに訴えさせていただければ幸いです)

主催:『Peace Night 9』実行委員会、早大9条の会"Article 9"、
協力:早稲田から広げる9条の会(早稲田大学教職員九条の会)
連絡先:Tel 090-8450-1231(事務局・平野),Fax 042-572-6236
Email peace9@peace9.net
HP http://www.peace9.net

『Peace Night 9』実行委員会・・・早大9条の会"Article9"、九条の会・東大Komaba,KHC九条の会(慶應大學日吉)、中央大學九条の会、九条の会・東大(本郷)、明大学生九条の会、法政大学九条の会、和光大生九条の会、立正大学9条の会、D9s(大東文化9条の会)、世田谷学生9条の会、青山学院大学9条の会、東京学芸大学9条の会、東京農工大学九条の会準備会、東京外国語大學学生九条の会準備会、東洋大学学生9条の会準備会大正大學/一橋大学/日本女子大學/電気通信大學/首都大学東京/東京農業大学/昭和大学/駒澤大学/日本社会事業大學/専修大学/日本大学 有志学生

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

噛むな 磨くな 奇妙な授業

2009-11-26 15:35:57 | ぼやき
 中学一年生の生物の授業。変った先生で「食物を噛む必要は無い。唾液と混ぜればいい。消化は胃袋がやってくれる」と教えてくれた。また「歯を磨くのは良くない。友人の歯医者が毎日犬の歯を磨いたら、それが歯槽膿漏になった。人間以外の動物は歯など磨かないが皆きれいな歯をしている。磨いてわざわざ悪くしているのは人間だけだ」とも言った。
 先生の言うことは正しいと信じていた私は、それ以来極力歯を磨かず、噛まず、従って早く食べる習慣を身に付けた(要するに面倒臭いことをやらなかっただけ。)結婚してからは女房に叱られるのでやむなく磨くようになったが、今でも、転んで折った前歯一本が入れ歯なだけで、大体は自前の歯だ。歯槽膿漏にはならずに済んでいる。息子は小一の時いい歯のコンクールに学校代表で出て入賞した。口頭試問で「歯磨きは余りしないの」と返事したため優等賞が三等に格下げされたが。
 あの先生の話は正しかったのだろうか。教えを守った私がまだ健康で80歳になろうとしているのだから、あながち間違いとは言えないかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本当に怖かった経験

2009-11-22 02:52:44 | ぼやき
 1972年の夏、北アイルランドのベルファストに行った。その4年ほど前からいわゆる「北アイルランド紛争」が再開されていたから「これは現地を見なければ」と意気込んで出かけたのだ。列車でベルファスト駅に着くと、プラットホームの壊れた窓に全部ベニヤ板が打ち付けられていて薄暗く、今にも何か騒ぎが起こりそうな雰囲気だった。すると、後ろから「上野!」と私の名を呼ぶ声が聞こえた。ゾーッとした。こんなところに日本人の知り合いがいるわけが無い。「ああ、もうだめだ、死神が呼んでる」と震えがきた。その声の主は、なんと、大学の友人で、卒業後15年目で始めて会ったのだった。彼も紛争を見にきた。安堵して「雀百まで踊り忘れず、だな」と笑いあった。だが、これはまだ序の口だった。
 その後、独りでカトリック居住地域を歩いていると、どこかで爆発があり、白煙が上がった。すると、猛スピードで英軍の装甲車が飛んできて、コンクリート塀の前にピタッと停まり、英兵が数名装甲車の陰から私に銃を向けた。いや驚いた。道を歩いているのは私独り。思わず両手をあげ「撃つな、撃つな」と念じながらソロりソロりと歩いた。「兵隊の目を見るな、あいつら猿だから目を見ると撃つぞ」。駈けって逃げたいけれど、そんなことをしては危険だ。とにかく静かに、ソロリソロリと歩いた。いや怖かった。安全弁をはずした銃が6本も私を狙っている。銃殺される直前と同じ恐怖だろう。後で知ったのだが、この年犠牲になった市民の数は40年にわたる紛争中最大だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

面白かった英文法

2009-11-21 03:07:51 | ぼやき
 中学での補講は面白かった。特に英語。T先生は双中の大先輩で東大卒、モンゴル史の専門家だから漢文が得意。黒板に漢文を書いて、英語と語順が同じだろと言った。「吾愛爾」I love you.主語+動詞+目的語。漢文につけるレ点や一、ニ点を英語につけて意味を考えた。圧巻は仮定法と条件文。中学英語の難所。T先生はいきなり「月が鏡であったなら、恋しあなたの面影を、夜毎写してみようもの・・・」と言い出した。先生が教室で流行歌を?いや面食らった。そんな「下品」なもの、東京の中学で歌ったらぶったたかれる。T先生はそこでこう言った。「月は今現在鏡じゃない。鏡ではないという現在の事実に反する仮定をするとき、日本語でも あったなら と過去形で言う。英語も同じだ。そうした場合ifの後の動詞は過去形になる。それに続く文章、条件文も 写す と断定して言うのではなく、写せるのになあ、写したいなあ、と言う願望を示す表現になっている。英語ではこういう場合やはり過去形になる。willではなく wouldだ。」
 今考えると少々問題のある説明だが、大雑把に言って中学二年生にはこれで十分だ。高校英語入試問題などみな簡単に解けてしまった。疎開組は皆力をつけ、地元生徒と対等に渡り合えるようになった。
 しかし、T先生は何故あれほど熱心に「敵国の言葉」を教えて下さったのだろう。数学も国語も。中学生も間もなく勉強が出来なくなることを、先生方は感じていて、せめて今だけでも、と懸命に教えて下さったのだろう。事実翌年昭和20年には国民学校以外のすべての学校が授業停止になった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

またまた戦時中の中学生生活―疎開の子は出来ないなあ。

2009-11-19 19:13:19 | ぼやき
 昭和19年、中学二年生の時福島に疎開し、県立双葉中学に転入した。疎開の生徒が沢山いて、中学では困っていた。授業にならない!疎開組と地元生徒との学力が違いすぎてだめなのだ。疎開組は私も含めて本当に学力がなかった。
 東京では座学が半端で、すぐ勤労動員のようなことに駆り出された。週に一日は農業の授業もあって、はるか遠くの農場に出かけていって肥えたご担ぎをした。「陸軍の学校を受験するものは英語をやらなくていい」と英語の教師が言った。こんな状態で学力の付くわけが無い。
 困った双葉中学では、疎開組だけ必修の補習を始めた。授業が終わっても夕方5時迄汽車は来ない。上級生は工場で働いているから部活動も無い。汽車が来るまでぶらぶら遊んでいた。この時間を有効活用しようと先生たちは考えたのだろう。そうすれば疎開組も少しは出来るようになる、と。補習は三科目。英数国。いや驚いた、英語には文法と言うのがある。知らなかった。発音もローマ字とは違う。英語の先生は出征していたから、教えるのは歴史の先生。「素人」だからえらく面白かった。僅か3ヶ月で英文法を全部やった。専門の先生だとこうはいかない。数学にいたっては微分積分まで。お陰で劣等生がトップに躍り出た。戦争の影の殆ど無い(校長さんの訓話は別として)幸せな二年生だった。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする