いつか中央線で豊田駅を通ったら、童謡「たき火」が駅のご当地ソングで流されていてびっくりした。あの歌は私が小学生だった頃住んでいた中野区の上高田で作られた歌詞だから、中野駅か、出来れば西武新宿線の新井薬師駅で放送して欲しい曲だと思っていたから。作詞者の巽聖歌が上高田から日野市に引っ越したとは後で知った。
何故そんなことが気になったかというと、あの童謡を生んだ大きな農家のケヤキの木とたき火はどう考えても私達が小学生だった頃のものだからだ。冬になると、ケヤキの枯れ葉を集めてたき火をしていた。私たちは学校の帰りなどそこに寄っては暖まった。「あたろうか、あたろうよ、しもやけお手手がもうかゆい」と言うのは僕らの手の事だ。遊び呆けてもう帰らないと叱られる、という頃でも寄って暖まった。炎がさかっているのではなく、おきになっていて優しく暖かだった。たき火というとあれを思い出す。発表が昭和16年だから、作詞のモデルになったのはどう見ても僕等小学生だと勝手に決めている。
昭和16年12月にラジオで放送する予定だったそうだ。12月9,10,11日が放送予定日。8日に開戦。放送は半分にカットされたという。しかも、「たき火は敵機の目標になるからいかん、落ち葉は風呂の燃料になるから、たき火などで無駄にしてはいかん」と大変厳しく抑え込まれたという。軍の意地悪かね。
戦後も小学校の音楽教科書に入っていたが、「たき火は火事の元」というので消防庁から厳しいお達しがあって、それにこたえるべく、歌の挿絵には水を入れたバケツを書き加えたという。皆さん職務に忠実すぎるんじゃない?もっと気楽に行こうよ。「日本の歌百選」にも入っている程皆知っている名歌なんだから。
何故そんなことが気になったかというと、あの童謡を生んだ大きな農家のケヤキの木とたき火はどう考えても私達が小学生だった頃のものだからだ。冬になると、ケヤキの枯れ葉を集めてたき火をしていた。私たちは学校の帰りなどそこに寄っては暖まった。「あたろうか、あたろうよ、しもやけお手手がもうかゆい」と言うのは僕らの手の事だ。遊び呆けてもう帰らないと叱られる、という頃でも寄って暖まった。炎がさかっているのではなく、おきになっていて優しく暖かだった。たき火というとあれを思い出す。発表が昭和16年だから、作詞のモデルになったのはどう見ても僕等小学生だと勝手に決めている。
昭和16年12月にラジオで放送する予定だったそうだ。12月9,10,11日が放送予定日。8日に開戦。放送は半分にカットされたという。しかも、「たき火は敵機の目標になるからいかん、落ち葉は風呂の燃料になるから、たき火などで無駄にしてはいかん」と大変厳しく抑え込まれたという。軍の意地悪かね。
戦後も小学校の音楽教科書に入っていたが、「たき火は火事の元」というので消防庁から厳しいお達しがあって、それにこたえるべく、歌の挿絵には水を入れたバケツを書き加えたという。皆さん職務に忠実すぎるんじゃない?もっと気楽に行こうよ。「日本の歌百選」にも入っている程皆知っている名歌なんだから。