某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

消費税の怪

2012-02-27 16:13:05 | ぼやき
 他のことは差し置いて、消費税だけは何としても上げないと、と野田さんはまるで消費税の鬼になっている。だが、疑問には一つも答えていない。ごく簡単な、すぐ答えられるはずの疑問だけ書いてみよう。

1、 法人企業のうち、法人税ゼロのところは何%ですか。答え、70% 野田さんはそれくらい今の日本は景気が悪いんだ、と逃げるだろう    が、本当かね。
2、 消費税を取りながら払っていない業者。推計3兆円と言われる。税務署はなにをしているのかね。
3、 法人税を納めているのは280万件と言われているが、社会保険を納めているのは200万件しかない。80万件は社会保険を社員からは徴収し   ながら納めていないことになる。これでいいのかね。金額にすると年間10兆円と推計されている。政府は調べていない、しかし、それほ   ど多くはないだろう、と国会では答弁した。
4、 民主党の公約に、歳入庁設立というのがあった。社会保険庁と国税庁を一緒にした役所。これが出来れば②のようなインチキは出来な    い。こんなところにも公約違反があった。
5、 特殊法人の改革。殆ど進んでいない。

 こうした素人の私どもでもわかるような見え透いたサボリで、年間20兆円もの歳入が徴収されずにいるという。先ずこれらをちゃんとやってもらおうじゃないか。ついでにもう一つ。先日民主党の議員が国会で野田さんに質問していた。「公務員の給与削減も大事だが、議員の歳費削減も行うべきではないか」と。野田さんは長々と答弁したが、国会議員の歳費削減にはとうとう一言も触れなかった。質問した民主党の議員さんは文句一つ言わず、ご答弁に感謝して質問を終えた。たまたまテレビを付けたらやっていたのだが、いや驚いた。その翌日、公設秘書の給与は削減しないと報道された。それはそうだろう。議員先生の歳費は削減しないのに、秘書の給料だけ減らしたら大変なことになる。
 こうした疑問はアサヒニュスターというチャンネルで放送していたものの一部だ。あれはいいチャンネルだけど、何故か三月一杯でなくなるそうだ。観るものがなくなるな。
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休眠口座 Dormant account

2012-02-27 14:50:19 | ぼやき
 お金がない、とわめいて(国民をおどかして)野田さんらは増税を強行したがっている。だがその前に、どこかに遊んでいるお金はないかと探したらしい。そして、休眠口座に気がついた。菅さんも言ってはいたが、その時は誰も問題にしなかった。今度はいくらか本気らしいが、大した額は使えまい。早速、他人の金を無断で使うとは何事か、といった類の「正義の士」が原稿料稼ぎや出演料稼ぎに利用している。
 15年たってもその間一度も何の音沙汰も預金者からない場合、それは休眠口座として銀行の利益にしていい。日本全体で年間八百数十憶円位たまるという。しかし返済要求も三百憶以上あって、残るのは年五百億位だという。大体が1万円未満だが、チリも積もれば、で大したものだ。アイルランドやイギリスではこれを国家予算に組み入れ、貧困対策、障害者支援、就学援助などに使っている。もっとも、預金者の権利を損なわないよう様々な工夫をしている。日本の銀行はガメツイから、利益になるものを国に取り上げられるのは反対だろう。
 「休眠口座」とニューズで聞いた時、何か、「おやっ」と思った。それが何であったかは後ほど気がついた。昔は多分「睡眠口座」と言ったのだ。dormantだから休眠の方がいい。リスちゃんなどが冬の間かわいらしく眠っているのは冬眠 hibernation。これはあまり怖くない(熊さんが目覚めたらちょっと怖いが)。それに対して休眠 dormantは、休火山 a dormant volcano などと使われる。休火山はいつ爆発するかわからない。この口座もいつ預金者に請求されるか分からない。15年で請求権消滅というわけにはいかないから。
 1956年(昭和31年)にハヤカワミステリで、コーネル・ウールリッチの『睡眠口座』という短編集が邦訳出版されている。「おやっ」と思ったのは、昔この本を読んだのをうっすらと思いだしたからだ。早速アマゾンでさがし、中古本を手に入れた。1996年版だが、それはどうでもいい。読んでぞっとした。今の日本を予言していた。
 アメリカでは、貯蓄銀行が休眠口座の預金者名と最後に住んでいた住所を新聞に広告するという法律があったらしい(今はどうか知らない。)若い浮浪者が新聞でそれを見つけ、不明者になりすまして大金(12,010ドル)を受け取る。何故そんなことが出来たかというと、たまたま選んだ行方不明者が、15年前に火事で死亡し、息子一人だけ生き残った、と当時の新聞記事にあったからだ。「まだほんの子供だったから何も分からない。母親が預金していたことも今度始めて知った」と言いのがれをして認められ、金をうけとった。新聞に写真が出たため、怖い思いをさせられたあげく元の黙阿弥、というお話。昔は「アメリカって変な国」位にしか思わなかったのだろう。しかし、これを50年ぶりに読んで、日本では下手するとえらいことになる、と気がついた。東日本大震災の後始末だ。沢山の方が亡くなった。一家全滅という悲惨な例も少なくない。預金通帳紛失、どこにどう預けてあったかも分からない、という方々も多かろう。15年もの間には、今以上にわからなくなる。「私は一番近い身内だ」などと名乗り出てもなかなかうまくゆくまい。14年後には東北地方に莫大な休眠口座がたまるかもしれない。まさか、政府と銀行がそれの取り合いを今から始めたのではあるまいな。
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シベリヤ物語

2012-02-22 01:19:33 | ぼやき
 月1回というのんびりムードで、近所のおばさん、おじさん7~8名で映画(ビデオ)を見る会をやっている。始めは拙宅で、撮りためたアイルランド映画を見ていた。そのうちもっと広いお家、もっといい機械(DVDや大きなテレビ)をお持ちのお家で観るようになった。3~4名のこともあったが、もう7~8年続いている。「マイケル・コリンズ」「麦の穂をゆらす風」アイルランド紀行、リバーダンスなども観たし、日本国憲法などというお固いのも観た。黒沢監督の「生きる」だの前進座総出演の「箱根風雲録」もテレビ放送を録画して観た。残念なことにもうVHSを映せるテレビがなくなり、レンタル・ビデオ屋にもDVDばかり並ぶようになったので、アイルランド映画は観れなくなった。
 困っていたある日、ブック・オフで「シベリヤ物語」完全版というのを見つけた。今月はそれを皆で見た。ご存知「バイカル湖のほとり」を日本にはやらせた音楽映画の名作。1947年制作で、私が観たのは1948年。旧制高校1年(現在の高校3年生)の時だから63年前。50年ぶりで観た、という方もおられたが、大体の方は始めてだった。レーニンやスターリンの写真が壁にかかっていたが、体制礼賛プロパガンダという色彩は予想以上に少なく、素晴らしい音楽映画だった(日本語字幕にレーニンと言うのは出てきたが、台詞でスターリンと言ってもそれは一度も字幕に出てこなかった。)完全版という意味は、旧ソ連でカットされた14か所13分の部分が復元されたということだそうだ。やはり検閲をパスしない部分があったのだろう。いわゆる総天然色映画の初期の名品で、色彩が第二次大戦直後なのに非常に綺麗で感心した。
 63年も昔に観たのに、覚えている場面が多く、俳優さんが次にやる動作や台詞が直前に思い出されて余計楽しかった。舟の上で、主人公がアコーディオンを弾きながら「バイカル湖のほとり」を歌う名場面(「ここでアコーディオンをもらうんだよな」と思っていたら、その通りに話が進んだ)。腹を立てたバスの運転手が急須の取っ手をもぎりとったり、女性がお盆の食器を落としたり、びっくりして箒を投げ出したり。全部思いだした通りに画面が出てきた。昔は記憶力が良かったんだな、と思ったほど。バスにアエロフロ-トと行く先が書いてあった。前に見た時はまだロシア文字が読めなかったから気がつかなかったが、今度は、「なるほど、空港行きのバスだ」と分かった。60年でいくらか利口になったわけだ。今度は「石の花」を見たい、と早速アマゾンでDVDを注文した。総天然色映画で最初にびっくりしたのはあれだった。花の開く様をスローもーションで観たのもあれが始めてだった。第二次大戦が終わったばかりの頃良くもあれほどのものが作れたと今になって感心する。私どもは飢え死にしそうな食糧難の中にいたけれど、それでも何か解放感があり、先に希望の光が見えていたように思う。17歳の子供に何が分かったか、とけなされればそれまでだが。
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芝居見物

2012-02-14 20:05:58 | ぼやき
 ちょっと時代がかったタイトルだった。演劇鑑賞という方が現代的かもしれないが、こっちにはほとんど鑑賞眼がない。それでもたまに観る。講演会の後でもそうだが、終わると大勢の方々が熱心に感想を書いて係に渡している。偉いものだ。私など殆ど書いたことがない。というより何を書いたらよいかすぐにはわからないのだ。
 細かいことが気になることはある。いつか、文学座の公演で、有名な俳優さんが英語の本を最後のページから開いて読み始めた。日本語の本と同じ。「ありゃ、此の学者さん尻から読むのかよ」と大変な違和感をおぼえ、後は赤毛っとのサルまねに見えてしまい、いやになった。孫が先日「アルジャーノンに花束を」という小説を日本に置き換えて脚本を書き、演出した。私の横文字の本を舞台で使うからとゴッソリ持って行った。その時これを思いだしたので「文学座みたいな恥はかくなよ」と念を押した。舞台ではそのせいかちゃんと開いていた。ベケットの「ゴド―を待ちながら」を見たら、これも有名な俳優の某氏が舞台でハンケチを丁寧に畳んでいた。乞食のような多分アイルランドの中年(老年?)男がハンケチを丁寧に畳むなどありっこない。その後は役者がすっかり日本人に見えて駄目だった。
 間違いを指摘しても認めてもらえぬことがある。オケイシーの劇をこれも有名な日本の某劇団が演じた時、役者が1798年というべきところを1898年といった。アイリッシュは普通 '98(ナインティー・エイト)という。1798などと丁寧には言わない。英語の台本にもそう書いてある。しかし、それだけでは日本人に分かりにくいから、訳者は補ったつもりで、18と付けてしまったのだろう。あるいは、役者が1798を1898と言い間違えたか。原因はどうであれ、アイリッシュの会話としては絶対にありっこない、決定的な間違い。昭和20年8月15日を平成20年8月15日と言い間違えるよりもっとありっこない話だ。
 初日だったので帰りに係の人に静かに注意した。いきなり反撃された。「訳者がそんな間違いをするはずがありません。元の本にそうなっているのでしょう」仕方がないから、明日からは1798年と言いなさい、みっともないから、と言った。また反撃された。「あれはパブの無学な女の台詞です。知らないで、言い間違えてるということでしょう。」嫌になった。原文を調べてみます、くらい言えないのか、と。
 いまだに真疑の分からぬこともある。前にも書いた「皇国の訓導たち」に出てくるお巡りさんが、戦争中なのにでかい革靴と棍棒、ピストルといういでたちだった。私の知る限り、あれは敗戦後の姿で、戦争中のお巡りさんはサーベルを下げていた。ピストルも棍棒も持っていなかった。終わってから役者さんにそれを聞いた。「ああいういでたちの巡査もいたようです」という答えだった。しかし、宮城の警護ならともかく、鹿島灘の海岸ぷちの寒村に、そんな巡査がいたかな、とまだ疑問に思っている。
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駅のハングル表示

2012-02-14 18:27:25 | ぼやき
 プラットホームにつりさげてある駅名に、ローマ字だけでなくハングル文字や中国語の表示されていることがある。小田急線もそうだ。良いことだと思い、電車に乗るたびに注視すればハングル文字が読めるようになるかも、と期待したこともあった(つまり駄目。)しかし、気がついてみると、ハングルなどが書いてあるのは大きな駅だけで(小田急線)、各駅停車しか止まらない小さい駅には書いてない。どうやら、他の線と交わっているような「乗り換え駅」にだけあるようだ。韓国や中国の人は大きな「乗り換え駅」でしか乗り降りしない?そんな馬鹿なことを会社側が考えている訳はあるまい。小さい駅では吊さげ看板も小さいから書き込めないのかもしれない。それにしても、乗降客の多いところだけとは、いかにもおざなりでみっともない。まさか金が足りない、などというのではないだろうな。民主党ではあるまいに。
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