某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

七夕様

2012-07-08 00:44:26 | ぼやき
 「笹の葉さぁらさら 軒端に揺れる。お星様きぃらきら。金銀砂子。
 五色の短冊 わたしが書いた。お星様 きぃらきら。空から見てる。」
こんな歌詞だったかな。ちょっとちがうようだが、七夕で思い出した。小学校で歌った唱歌は今でもヒョイッと出てくる。今の小学生もこの歌をうたうのだろうか。
 新米ヘルパーさんの孫娘が勤務先の「特別養護老人ホーム」で初めて迎えた七夕様。今日は土曜で小学校が休みなので、実際はまだ小学校の授業のある数日前に学童達が慰問に来て七夕様のパーティをやったそうだ。
 何日か前まで、孫娘は、夜遅く勤めから帰ってくると折り紙で色々な飾りを作っていた。美大出だけあってさすがに上手い。見る見るうちにハートが沢山つながったり、紙がデリケートな網になったりする。私も折ったり貼ったりして手伝った。何年振りだろう。
 昔、鶴が折れないと日本人じゃない、と脅かされて、必死に覚えたことがある。お陰で綺麗に折れるようになり、アイルランドに行く度ご婦人の目の前で折って進呈し、大分ポイントを稼いだ。或る時スコットランドの観光バスの中でも実演し、喝采を浴びて進呈したら「まあ可愛いアヒルの子」と言われてガクンときた。以来折り紙とはおさらばして、今では鶴の折り方も忘れてしまっていた。今頃また折るとはおかしなめぐりあわせだ。
 ヘルパーさんの仕事は大変だ。孫はまだ22歳なのに、帰ってくると「疲れた!腰が痛い」と顔をしかめる。日常起こることの大半は他人に言うべきではないことだから、ストレスも溜まるだろう。非常に大事な仕事だし、毎日の苦労には本当に頭が下がる。ストレス解消に、休みのときなど思い切り羽根を伸ばすといい、と私も思っている。そのくせ、遊び呆けて帰宅が午前様になったりすると「何をしているんだ!」などと叱りつける。俺は本当に嫌なジジイだ。
 
 
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吹矢履歴

2012-07-06 16:15:28 | ぼやき
 物忘れが始まらないうちにこれまでの吹矢の記録をまとめておくことにした。前にも同じことをしようと思ったことがあったが、自慢たらたらになりそうなのでやめた。今度は毎回の不成績を書かねばならないから、少しは嫌味が消えて、素直な記録として読んでいただけるだろう。昨年の防音工事で室内の荷物をダンボールに入れて倉庫に預けた。いまだに、吹矢関係の認定書などが出てこない。どこかにはあるのだが。したがって、ここに書く履歴が唯一の記録になるかもしれない。早く書類等を探さなければ。

2008.11.5.(78歳)笑顔せたがや支部創設、入会
2008.12.8.    2級合格。記録紛失
2009.1.13.     1級合格。記録紛失
2009.2.14.     初段合格。距離8m得点 120点(33,29,31,27).    認定基準点100点 試験会場 支部練習場
2009.9.27.    二段合格。距離9m得点 162点(23,27,25,29,27,31)  認定基準点150点 試験会場 銀座五丁目試験場
2010.3.12.(79歳)三段合格。距離10m得点 164点(21,29,31,25,31,27) 認定基準点150点 試験会場 支部練習場
2010.10.5.    四段合格。距離10m得点 164点(21,29,23,31,29,31)  認定基準点162点 試験会場 銀座三丁目試験場
2011. 4.5.(80歳)   五段合格。距離10m得点 174点(23,31,25,33,31,31)  認定基準点174点 試験会場 銀座三丁目試験場
2012.4.10.(81歳)   六段受験資格1認定。距離10m得点186点(33,35,31,27,29,31) 認定基準点 174点 試験会場 銀座三丁目試験場  
      
目下来年4月に受験資格の出来る六段受験資格2認定試験に向けて練習中。来年もしこれに合格すれば、六段を受験できる。

吹矢競技会成績
2010.6.9.全国大会 70位(男子10m出場者は300人位か。全参加者は900名。詳細不明)得点110点(4ラウンド)会場 千駄ヶ谷国立競技場
2011.12.11.第二回世田谷スポーツ吹矢協議会大会  優勝。10m180点(6ラウンド)参加人数不明。百人位らしい。会場 松原小学校体育館
2012. 6. 5.東京都大会 24位(男子10m出場者180名)得点 10m116点(4ラウンド)会場 多摩市体育館
2012. 7. 5.青柳杯大会 60位(男子出場者358名)  得点 10m176点 (6ラウンド)会場 墨田区体育館(競技者500名中私が最高齢)

 成績の善し悪しにかかわらず、わかるうちに記録を残しておきたい。僅か3年で、もう何か所も記録紛失、詳細不明などと書く破目になっている。すぐ書いておけば調べる方法もあったろうに、いまではどうしようもない。わからなくてもどうということもないよ、という気分もないわけではないが、書いていて気持ちが悪い。
 

  
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吹矢不成績。井の中の蛙だった。

2012-07-06 02:57:02 | ぼやき
 このところ2回大きな吹矢競技会に出場した。一つは東京都大会。次は今日行われた青柳杯という3段以上が出場権を持つ全国大会。普段の練習では、これまでの優勝者の得点より上を出しているから、かなり良い線を行けるのではないかとひそかに思っていた。ビリケツになって支部に恥をかかせそうで・・・などと殊勝なことを口では言っていたが。結果は、なんとも情ない成績! 東京都大会は男子10㍍選手178位までのうち24位。点数だけだと10位だが(悔しいからこんなことを言う)同点が多いから順位はガタンと下がる。私より点数の上の人が23人いたわけだ。青柳杯は高段者の競技で全員10㍍。358位までのうち60位。点数だけだとやはり10位だが(無意味な悔し紛れ)同点が多いから順位は下がる。私より点数の多い人が59人いたんだ。どちらにしても私は不成績、と言わざるを得ない。まあ、どちらも初出場だから、来年は少し順位を上げるように今から精進しよう。出場者が多くなったので、今年から、秋の全国大会には東京、神奈川などでは予選をすることになった。東京都大会はその予選を兼ねていたそうだが、幸い出場権はとれた。
 それにしても井の中の蛙とはよく言ったものだ。練習で200点を越えただの、190点台なら毎日出せるだのと腹の中で自慢していて、いざ試合となったら1割も低い点数しか上げられない。こんなに腹が据わっていないとは気がつかなかった。これからはどんな練習をしたらよいのだろう。何にしても毎日吹くしかない。スロー・スターターだから数多くやらないと調子が出ない。
 今日の大会で面白いことがあった。私が、出場選手500人のうち最年長。他に二人もっと年配の方がおられたそうだが、欠席だったとか。お陰で、報知新聞の記者にインタビューされた。協会の会報は報知新聞に編集協力をしてもらっているから、来月あたりの会報に私のインタビューも二行くらい載るかもしれない。スポーツ吹矢にジュニア部門はあるけれどシニアはない。是は大変に良いことだ。80歳からでも始められて、高段者になれる。若い人と全く同じ土俵で技を競うことが出来る。年齢による不利は全然ない。健康にも良い。もっと皆に知ってもらいたい。協会員はもう3萬人を超えた。私が入会した3年半前には15,000人弱だったから、倍増したわけだ。大和にもやっと支部が出来る。これからもっと盛んにしたいものだ。上手い人が増えるとこっちの立場がなくなりそうだけれどそれは諦めよう。もう、年だから。
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日本海か東海か。

2012-07-03 15:57:22 | ぼやき
 韓国が「日本海」に「東海」と併記するよう求めている。前からだが、今回は、アメリカが従来通り「日本海」とすると発表したらしい。「らしい」と書いたのは、テレビのニューズだけではいつ訂正or補足されるかわからないからだ。「武士に二言はない」とか「私はうそを申しません」(池田勇人首相)などというのはもう昔の話。野田首相などいくら公約違反と責められてもまさに「蛙の面に小便」。もっとも、どじょうはこやしのきいた田圃に多くいたから、馴れきっているのだろう。
 昔から日本海だったのだから良いじゃないか、自分の国で作る地図に好きな名前を書いておけばいいじゃないか、と私など気楽に思ってしまう。韓国からは東だが、日本からは西だから、それじゃ日本では西海と併記するか、とか。だが、韓国ではそう行かぬらしい。自尊心?多分、選挙対策なのだろう。メドベージェフの北方の島々訪問が人気回復策(2度目の)だと言われるのと同じか。
 しかし、地名等には植民地時代に改名されて、植民地のにがい思い出の残るものがある。私もそれで申し訳ないことをしたことがある。
 アイルランド島の北部に「ロンドンデリ―」という州と町がある。昔(17世紀)ロンドンの商人達が王様に献金して拝領し、開発した土地で、もともとはデリーだったのをロンドンデリーと改めた。独立派の人々はこんな名前は口にもしたくない。既に独立した南部の人々もロンドンとは付けないで、だた、デリーという。
 ある日アイルランドで車に乗せてもらってドライブを楽しんでいた。運転するのは若い女性。サービスのつもりか「ダニー・ボーイ」のCDをかけてくれた。わたしも良い気になって「この曲は日本では、ロンドンデリーの歌として昔から学校でも教えられている。日本人はみなよく知っている」と言った。とたんに「そんなこと言う人は降りてください」とすごい剣幕でしかられた。すぐ気がついたから、Sorry,Sorryとひたすら謝って、どうやら車から放り出されずに済んだ。相手の気持ちを考えず、自分だけいい気になってしゃべり、相手の人を傷つける、とんでもないことをしたと今でも申し訳なく思っている。テレビのニューズを聴いて思い出した話。
 そういえば、「ダニー・ボーイ」の歌詞と曲については面白い話がある。次回に書こう。
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女王様との握手

2012-07-02 03:16:04 | ぼやき
 先日朝日新聞に、北アイルランド地方政府の副首相マクギネスとイギリスの女王エリザベス2世が握手している写真が大きく出た。女王の北アイルランド訪問と、その際二人が握手することは大分前から決まっていたが、その写真を公表するかどうかが、直前まで話題になっていた。シン・フェィン(マクギネスの属している政党)は直前になって公表すると言明し、それがまた大ニューズになるほどだった。
 何故あの二人の握手がそれほど話題になったか。それは敵対する二つの「軍隊」の元司令官と現最高司令官が握手するという意味を持っているからだ。マクギネスは元IRA幹部でイギリス軍と戦い、捕えられてイギリスの刑務所で刑に服していた。今は北アイルランドで「イギリスからの分離独立」を求めて政治活動をする政党の一員として、北アイルランド地方政府の副首相を務めている。女王様は勿論イギリス陸海空軍の最高司令官だ。此の二人が握手したというのだから「歴史的大事件」だ。しかもマクギネスのご挨拶は、アイルランド語だった。女王様にはわからなかったろう。その後の会話は英語だったのだろうが。
 「歴史的大事件」という意味は、百年近い昔アイルランド独立戦争の際、イギリスの首相ロイド・ジョージは「人殺しとは握手しない」と言って長く交渉を拒んだからであり、また、近いところでは、1980年に、20代そこそこの青年達(IRA)がイギリス側の刑務所で「俺たちは強盗や窃盗犯ではない」「政治犯の待遇をしろ」と要求してハンガーストライキを行った際、時の首相サッチャーは「犯罪者とは交渉しない」と言う姿勢を貫いて、若者10名を餓死させたからである。IRAもシンフェィンも、イギリス政府は唯の人殺し集団としか見ていなかったのである。それとはま逆の「事件」だ。この握手は北アイルランド和平の一層の進展の象徴として、北アイルランドはもちろん、イギリス側アイルランド(共和国)側双方に大歓迎された。しかし、勿論過激な分離独立分派(非合法武装集団)からは激烈な非難が投げつけられている。
 此のニューズで一つ分からないことがある。それは、マクギネスが昨年南の「共和国」の大統領に立候補していたのに、落選後また北アイルランド地方政府の副首相になっていることだ。大統領選に立候補しても、落選すればまた元の「職場」に戻れるらしい。日本では落選した場合元の職場に戻れるのだろうか。
 
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