某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

吹矢と私(4の3)

2011-05-11 23:00:59 | ぼやき
3、練習と試験
 ちょっと気恥ずかしいのですが試験の記録を並べてみます(表が上手く出来ませんので見苦しくて申し訳ありません)。

2008.11.5.入会
2008.12. 8. 2級合格 記録紛失
2009. 1.13. 1級合格 記録紛失
2009. 2.14. 初段合格 距離 8m 得点 120点(33,29,31,27)     基準点 100点 試験会場  支部練習場
2009. 9.27. 二段合格 距離 9m 得点 162点(23,27,25,29,27,31)   基準点 150点 試験会場  銀座五丁目試験場
2010. 3.12. 三段合格 距離 10m 得点 164点(21,29,31,25,31,27)  基準点 150点 試験会場 支部練習場
2010.10. 5. 四段合格 距離 10m 得点 164点(21,29,23,31,29,31)  基準点 162点 試験会場 銀座三丁目試験場
2011. 4. 5. 五段合格 距離 10m 得点 174点(23,31,25,33,31,31)  基準点 174点 試験会場 銀座三丁目試験場 

 ノートから拾い出して書きました。久しぶりにみて色々なことに気がつきました。私の個人的経験ですからあまり一般化は出来ませんが、第一に、普段馴れている支部の練習場で受験する場合と銀座の試験場で受験する場合とでは得点に大きな差が出るということ。段位が高くなり、的までの距離が長く、基準点が高くなると、その傾向が顕著になるようです。三段と四段の得点にそれが一番はっきりと出ています。全く同じ得点。違うのは、試験場がいつもの馴れた場所か、やたら緊張する不慣れな銀座の試験場か、ということだけ。点数だけ見ると、三段合格から四段受験までの7か月間全然上達しなかったみたいです。第二に、これは私の欠点ですが、酷いスロー・スターターだということ。二段からその傾向が出ています。第一ラウンドが一番ひどい。四段の21点、五段の23点は特にショックでした。第3ラウンドでまた23点だの25点だのが出た時は、もう駄目だと思いました。何故なら、四段では平均27点、五段では平均29点出さなければ基準点に達しませんから。しかし、あまり低い合計点で終わったのでは、次の受験も駄目になりますから、せめて僅差で落第「惜しいなあ」と言うところまで持っていこうという気持ちになりました。偶然にもその後は高得点が続き、幸いしました。人間あきらめが肝心と言いますが、諦めないことも大事ですね。
 試験には毎回変な思い出があります。初段受験の時は高橋先生と土屋先生が審査員だったのですが、吹いていたら、どちらかの先生が、私のことを「00さんは点数は出すだろうけれど、論文で落ちるのではないか」と言って笑っているのが聞こえました。初段の時は論文も出さねばならないので、それを先生方は言っていたのですね。びっくりしましたが、そんな声が聞こえるのだから、あまり上がっていないな、と少し落ち着きました。それを狙ったショック療法だったのかもしれません。
 二段の時も高橋先生に助けられました。試験の少し前に両目とも白内障の手術をうけ、近間はよく見えるようになって眼鏡がいらなくなったのですが、9メートル先を見るにはやはり眼鏡が必要でした。ところが、試験場で眼鏡ケースを空けたら入ってない。家で練習して、そのまま置き忘れてきてしまったのでした。万事休す。もう駄目だ、と観念した時、高橋先生が試験場に応援に来られました。「眼鏡を忘れてしまいました。もう駄目です」とと申し上げたら、「的の赤い輪は見えますか」と言われました。そのくらいならぼやけてはいるけれど見えました。すると、「赤い輪が見えれば大丈夫、安心なさい」と。いや楽になりました。しかし、困ったことに矢がどこに当たっているか全然見えません。吹き終わって傍に行くまで、どんな具合かわからない。薄氷を踏む思いでした。いやいや、そそっかしいというか間抜けというか、眼鏡を一番必要とするときに忘れていってしまった。これが本当の「めくら玉」ですね。
 何故このような記録をお見せ出来るかと言うと、皆さんもそうでしょうが、私も1級を頂いた頃から毎日の練習を記録してあるからです。
練習会のある日、先生が「点数を記録しなさい」とおっしゃった。記録しないと進歩しない、と。お医者さんは、食事制限をしなくとも毎日体重を記録するだけで2~3キロ減るといいます。体重についてはまだ記録していませんが、吹矢の記録は早速その日から始めました。始めのうちは惨めなもので、ダメダメモウイヤダ、とか、アマリワルクテ記録セズ、などと落書きしてあります。受験する段の基準点に達すると赤丸、だめだとバツを書きます。なかなか基準点に達せず、0勝5敗などとも書いてあります。基準値に達しないのを見ても楽しくありませんから、毎日の練習のなかで最も良い点数のものだけを記録する「その日のベスト」というノートも作りました。「自己満足ノート。」それにもバツはありますが、大体が合格。お回しいたします。これは2冊目です。最初のは目下行方不明。僅か二年でもうどこかに行ってしまった。記録保持というのは難しいですね。しかし、記憶はもっとあやしくなる。良かったことしか覚えていませんから。練習に記録は欠かせませんね。 
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吹矢と私(4の2)

2011-05-11 19:18:53 | ぼやき
始めに目次を書くべきでした。1.自己紹介(記載済)2.吹矢との出会い 3.練習と試験 4.好きな言葉。以上です。
2.吹矢との出会い
 友人に、日本スポーツ吹矢協会の銀座教室に通っている有段者がいました。ある時、体験してみろと誘われて、5丁目の教室で吹いてみました。2008年8月のことでした。しかし、「いい年をして今更忍者ごっこの真似をしても・・・それに銀座まで通うのもなあ」とその時はあまり乗り気ではありませんでした。ところが其の方は熱心で、間もなくもう一人の有段者の方と一緒に地元で体験会を開催し、それにも誘われました。2008年10月。そして11月5日に入会。支部が発足しました。「笑顔せたがや支部」というちょっと謎めいた支部名。楽しくなければ吹矢じゃない、という意味も込められています。支部長さんは有段者の女性の方で、以来今日まで2年6カ月、毎月世田谷区の文化会館大広間を抽選で引き当てて練習場を確保して下さっています。
 忍者ごっこなどと茶化していたのに何故入会したか、とおかしく思われるかもしれません。5人以上集まらないと支部が出来ないから名前だけでも、という話もありましたが、やはり3回の体験会でよく的に当たり気をよくしたことが大きいと思います。子供に碁・将棋を教えるときは、最初上手に勝たせてやれ、と言いますね。大人も同じ。嬉しくなってやる気になる。それと、腹式呼吸の大事さ、健康効果について、指導に来られた高橋先生が丁寧に説明されて得心がいったこと。私は運動神経ゼロですから、剣道の場合と同じく、「健康に良い」というところに先ず惹かれました。「スポーツを極める」といった純度の高いものではなく、かなり功利的な動機で、ちょっと申し訳ないのですが。
 練習会場は京王線千歳烏山駅前で、私の家からは遠いのですが、京王線下高井戸駅まで非常勤で通っていて烏山はすぐ隣でしたし、成城に行くことも多く、そこからだとバスですぐ、ごく近いです。家は遠いのに不思議な近さです。おまけに高橋先生は藤沢で、これは私の家に近い。吹矢には浅からぬ縁があるのでしょう。
 支部長さんは一番若く、他の支部の仲間は大体が60代。色々な職業の方々で、呼吸と矢の飛び方の関係を考える人、筒と矢の太さの関係に特別なこだわりをもつ人、練習はどうでもいいが終わってからの反省会(つまり飲み会)が楽しみだと出てくる人、反省なくして進歩なし、と反省会参加者を集める人など「みんな違ってみんないい」と金子みすずのようなほんわかした世界をつくっています。みんなに共通するのは、かなり上手になっているのに昇級・昇段試験を受ける気が全然ないこと。その点私は少しはみだしっ子です。受験資格ができるとすぐ受けちゃう。仙人の集まりに俗物が一人迷い込んでいるような具合です。
 健康効果について私自身の経験を一つだけ申し上げます。私は高血圧で、40代には上が170、下が105くらいありました。友人の医者が見かねて薬をくれるようになり、上は140~150、下はかなり後まで90台でした。定年を過ぎてから80台に落着きました。定年でストレスが減ったためだと医者が喜んでいました。その位下は下げにくいようです。それが、吹矢を始めて3カ月頃から、70、60と下がり、以来今まで、大体130前後と60程度に落ち着いています。薬を変えたわけではないのに何故下がったか、と医者は不思議がっていましたが、吹矢のことを白状したのはずっと後になってからです。忍者ごっこか、などと笑われそうで恥ずかしかったからです。今は威張って言っていますが。 
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