某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

爆音・轟音

2012-05-30 01:10:40 | ぼやき
 只今23時48分、先程からジェット機の騒音がひどい。米軍の戦闘機。厚木基地から飛び立っている。また何か始まったのだろうか。
 また、というのは5月22日から24日までの3日間朝から夜10時まで凄まじい爆音に悩まされたからだ。タッチ&ゴーという発着訓練。基地を航空母艦の甲板に見立てて、着艦の訓練をする。甲板で飛行機のお尻のフックがワイヤーにうまく引っ掛からなければ、すぐ上昇して再度着艦体勢をとらねばならぬから、タッチしたらすぐ離陸できなければならない。(また来た。数分おきだ。近所の人も眠りを妨げられてびっくりして窓から覗いている)これはかなり高度な技術らしく、訓練しないとすぐ出来なくなるそうだ。
 5月22日朝、いきなり米軍から防衛省に、「今から24日まで、夜間10時まで、厚木基地で全機種の着艦訓練をする」と通告があったそうだ。理由は、横須賀を母港にしている原子力空母ジョージ・ワシントンの修理が延びて出港出来なくなったので、艦載機パイロットに着艦訓練をするのだ、という。10日間の規則というのがあるそうだ。着艦訓練を終えてから10日すぎると、また訓練をやり直さなければいけない、という規則。修理が長引いて空母の出航が延びたため、訓練が終わってから10日以上たってしまったという。そうした決まりがなかった頃は、1万回の着艦で300回は失敗があったという。冗談じゃない、事故率3%!それが、此の規則が出来てからは、1万回で3回に減ったという。基地のPR・Officerは「安全のためだ」と繰り返していた。それはそうだろう。高い金をかけて訓練したパイロットに着艦失敗で死なれては困るだろう。しかし、そうだからと言って100万人以上もの日本人にいきなり轟音を浴びせかけて良い、ということにはなるまい。いずれ書くが、目下横浜地裁で争われている爆音訴訟では大勢の証人が大変な被害の実態を語っている。
 2007年以降こうした訓練は硫黄島で主に行っている。今回はそれが出来ないとかで前通り厚木基地でやった。いやひどいの何の。神奈川県知事も爆音を聞きに来てびっくりしたらしい。国が何とかしろ、と申し入れたという。今まで放っておいたくせに。酷いのは今回ばかりじゃないのに。
 硫黄島で訓練しているが、そこまでの燃料代などは、日本の「思いやり予算」から出ている。アメリカは自分の国の軍隊の訓練の費用まで日本におんぶしているわけだ。恩師の都留重人先生も最後の著書に書いておられるが、こんなみっともないことをしている国はほかにない。アメリカも落ちぶれたものだ。自分の国の軍隊位自分の金で訓練しろよ。
 
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ナチ・スパイの自殺。1947年、アイルランド。

2012-05-26 00:47:09 | ぼやき
 1947年5月23日、今から65年前のこの日にナチ・ドイツの’空飛ぶスパイ flying spy'として知られていた男(57歳)がダブリン城で自殺した。以下は本日のアイリッシュ・タイムズが伝えている「65年前の今日の記事」から。
 ヘルマン・ゲルツ(Hermann Goertz)。リューベック生まれ。ナチ最高司令部の命を受けて、彼は1940年5月5日にパラシュートでアイルランドのミーズ県に降下した。以来彼はブリテンを孤立させ大西洋の補給生命線を断ち切る計画にアイルランドを巻き込むという国際的スパイ活動、政治的陰謀を画策した。しかし、同調者の仲間割れから国防委員会に内報があって18カ月後の1941年11月12日に逮捕、監禁された。
 戦後の1946年8月に彼は釈放され、「ドイツ児童救済基金」に秘書として週給2ポンド10シリングで雇われた。これはドイツの児童をアイルランドの家庭で養育するため招致する基金であった。しかし、1947年4月12日彼は6名の他のドイツ人とともに再度逮捕され、5月14日にドイツに追放処分ときまり、マウントジョイ刑務所に投獄された。追放は1週間以上延期されたので、65年前の5月23日にダブリン城の外国人課に彼が連れ出されたときは再度延期されるものと期待していたらしい。案に相違して其の日のうちにドイツの飛行機で帰すと通告されると、彼はやにわにポケットからガラスの小壜を取り出し、歯で割って飲み込んだ。青酸カリ。彼はマーサー病院で絶命した。
 第二次大戦中アイルランドは中立政策を堅持した。したがって、戦時中ドイツ大使館はアイルランドで活動していた。何もわざわざパラシュートで密入国して陰謀工作をしなくともよさそうなものだが、そうはゆかなかったらしい。もっとも、かなりのドイツの軍用機がアイルランドに不時着しており、乗組員はドイツ兵収容所に監禁されていた。イギリス兵アメリカ兵も別の収容所に監禁されていた。いずれもアイルランド軍が管理していた。勿論気分は一般に連合国贔屓だったから、イギリス兵はかなり自由に出入り出来たらしい。ドイツは北アイルランドを空襲したし、南の中立アイルランドも「誤爆?」していたから、スパイ工作などは上手くゆかなかったのだろう。
 私が毎年宿泊していた大学寮はもとマーサー病院だった。知人の御父君が此の病院で亡くなったことは知っていたが、ナチのスパイもそこで死んでいたとは。今日まで知らなかった。まさか、私の泊まった部屋でのことではないだろうな。

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ヘドモド君とニー・ハイ娘

2012-05-19 02:02:39 | ぼやき
 孫娘の珍妙なデートの話。バイトを辞めたら、そこの社員君からお呼びがかかって送別会。何度か繰り返しているが、その度に、社員君は「暗い夜道は危険だ」と駅から我が家までエスコートしてくれるそうだ。或る夜、電車で二人が帰ってきたら、同じ駅を使っている同じ会社のバイト嬢とばったり。びっくりして目をむいたのは若いバイト嬢。ニ―・ハイ・ソックスで膝上の生足を見せている若い娘さんだそうだ。社員君はヘドモドして言葉も出ない。我が家と反対側の階段を下りるニー・ハイ娘に従って歩き始めてしまった。「始めて来た」というふりをしているのが見え見えで孫娘は吹き出しかけたが、ようやくこらえて「おじいちゃんの家はこっちですが」と反対側を指すと、くだんのヘドモド君「あ、そっちですか」と下手な芝居。
 道々、「あんなニ―・ハイ姿とはとても並んで歩けません。こっちまでおかしく見られる」と繰り返していたそうだ。翌々日、孫娘はくだんのニー・ハイ娘と遊びに行き大いに楽しんだが、その折には「あなたの服装がとてもセンスが良い、と彼が褒めていましたよ」と伝えたそうだ。帰ってきて「そう言ったら彼女とても喜んでた、私は悪魔だね」と愉快そうだった。いやいや、女性は怖いね。言葉を素直に受けとるととんでもないことになる。若いうちから皆そうなのだろうか。
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夜の森の櫻 

2012-05-17 17:47:48 | ぼやき
 またまた他人の短歌ばかりで申し訳ない。自分で出来ないから仕方がないのだ。朝日歌壇から。四月を歌っているから少しずれているが。
1、「人もなき町の桜のトンネルは帰れぬ人の魂(たま)遊ぶ処(とこ)」(福島市)2、「満開の櫻並木の映像はわれの故郷 逃れて哀し」(東京都)3「どこまでも温しふくしまの里びとは よらんしょ こらんしょ あがらんしょ」(福島市)4「閖上(ゆりあげ)の被災地駆ける砂あらし廃墟の庭に残る三輪車」(さいたま市)5「『全壊』と赤札貼られたる家に燕入れず庭を翔びおり」(香取市)
 1と2、今まだ全町避難で住めない富岡町に夜の森という地区がある。津波に駅舎を全部さらわれて、プラット・ホームだけになった常磐線富岡駅の北隣の駅。津波にやられないでよかった。時期になると駅前から公園一帯が櫻で埋め尽くされる。桜の日本百景に選ばれている。毎年桜祭りで大賑わいだが、去年も今年も訪れる人はいない。行けないのだ。何年たっても此の無念さは消えないだろう。2と同じく、私もテレビの映像をみて感じた。しかし哀しいというより「くそっ」という気分だったようだが。
 5「はりつめた気持ちあらわすスーツきて 新入社員輝くあした」6「今日のことママにどこまで話そうか うがいしながらまだ迷ってる」
5は、孫娘の初出勤を見送った私の気持ちを良く歌ってくれている。6。孫娘の初デート。いや珍妙な話ばかりだった。ママも喜ぶだろうが、私からは言うまい。本人もじじいには言えるがママには言いにくいかも。「もっとましな子とでートしなさい」なんで言われそうだ。
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身につまされる川柳

2012-05-14 00:57:06 | ぼやき
 日経にサラリーマン川柳の人気投票結果が載っていていたと友人がコピーをくれた。困ったことにベストテンの7,8,9,10位の方が気にいった。8位「立ち上がり 目的忘れ また座る」私にも似たようなことがある。何をか取りに行って、別のことをして戻ってしまったりする。階段の上り下りが良い運動になる、などと痩せ我慢したりして。10位「最近は 忘れるよりも 覚えない」具合が悪いから、「美人の顔と名前を忘れるのが私の特技で」などと卑下したつもりで断りを言ったら、隣の人に「私のことはよく覚えておいでですね」と逆襲された。9位「定年後 田舎に帰れば 青年部」いくらなんでも私に青年部はもう無理だが、地元での会合は老人ばかり。60代の人は本当に若く見える。2位「女子会と聴いて覗けば六十代」これは、もてない男性サラリーマンの句でしょうね。7位「胃カメラじゃ 決して見えない 腹黒さ」 オリンパスの内視鏡は世界一精度が良くて、大腸がんの早期発見に大変な貢献をしているという。それがねぇ。金沢で食べた美味い魚に「のど黒」というのがあった。店の人に「はら黒」じゃなくてよかったね、と言ったら「それ使わせてもらいます」と喜んでいた。
 一位は「宝くじ『当たれば辞める』が 合言葉」。退職金も危ない昨近、宝くじしか老後を託せるものがないということか。悲しいね。
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