某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

ご当地ソング

2011-05-23 22:22:17 | ぼやき
 いくつかのJRの駅(私にはまだ国鉄の駅と言った方がピンとくる)に、発車時に歌を少し放送するところがある。高田馬場駅で「鉄腕アトム」を流したのが始まりと聞いた。手塚治虫があの辺りに住んでいたということかららしい。同じ山手線の駒込駅では「さくら・さくら」が聞こえる。染井吉野誕生の地が近くだから。染井村は巣鴨駅との中間にあった。巣鴨駅には染井吉野誕生の記念碑がある。両駅で記念碑と歌を分け合ったらしい。珍しく良い話だ。中央線八王子駅では「夕焼け小焼け」。あの歌が誕生したのは確かに八王子の奥だが、真昼間にあの歌をプラットホームで聞くと変な感じがする(学習院や聖心の卒業女性たちから、会ったとたんに「ごきげんよう」と挨拶されるのと似ている。あれは「さようなら」と聞こえる。)隣の豊田駅では童謡「たきび」。「たき火だ、たき火だ、落ち葉たき」。あれは何故豊田駅なのだろう。小学生の頃住んでいた私の家(中野区の上高田)のすぐそばに、欅の巨木を持つ広い農家風の家があって、秋深くなるとよく落ち葉焚きをしていた。「あたろうか、あたろうよ」と私たちちびっ子が手をかざしていた。その情景を歌ったのがあの童謡だと聞いていたし、NHKの「みんなの歌」の時間でもそう説明していたから、豊田駅で何故?と不思議に思っている。作曲者があそこに住んでいたのだろうか。
 恵比寿駅では、映画「第三の男」の主題歌をかけていた。これは意味不明。私鉄の駅ではまだ聞いたことがない。私が気がつかないだけかもしれないが。 
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長寿ってちっともめでたくない

2011-05-20 01:57:25 | ぼやき
 手帳を更新したら、切り抜きが出てきた。2011年2月8日朝日朝刊の投書。81歳の女性のもので、タイトルは上に書いた通り。
 介護に疲れた81歳の妻が84歳の夫を絞殺、逮捕されたという記事についてのもの。「私でなくてよかった」とある。投書者の夫は87歳、もう6年余も病人。しかし、高齢の病人でも、家族が同居または近くにいれば、その人たちが面倒をみるということで、介護保険の給付は受けられないでいる。保険料はばっちり天引きされているのに。「病人の訴えを、苦しかろう、自由に動きたいだろうなどと思って聞いていたら、とても24時間6年3カ月は務まりません。右の耳から左の耳に『うんうん』と言うだけで過ごしているから、私は犯罪者にならないですみました。」とある。
 カフカの『変身』をみたすぐ後にこの切り抜きが出てきたので、奇妙な偶然に驚いている。あの虫は、例えばこの87歳の老いた病人なのだ。そしてまた、虫が父親にリンゴをぶつけられて大怪我をし、死んでしまうというのは、84歳の夫が妻に絞殺されたということなのだ。
 自分がこの投書者とほぼ同じ年齢になったせいか、「長寿ってちっともめでたくない」という、この「心の叫び」が除夜の鐘のように頭の中で鳴り響いている。そういえば『ガリバー旅行記』の中に、死ねない老人たちが「俺たちをうらやましがる変な奴がいる」とガリバーの噂をする場面があった。虫は死ねた。残った家族は解放されて、心楽しくピクニックに出かける。あの一家はまだみな若い。老々介護にはそうした救いもない。これは日本だけの現象なのだろうか。
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カフカの「虫」は老残のボケ老人?オペラ「変身」を聴いた・観た。

2011-05-16 21:34:13 | ぼやき
 先日、オペラ「変身」を観た。こんにゃく座の40周年記念公演。原作はもちろんフランツ・カフカ。台本は山元清多、作曲林光。山元さんは昨年71歳でなくなった。変身したのだろう。
 あの、不条理とかわけがわからないとか言われるお話を、「そうだよ、どんな家族でもあんなことになったらそうなるよ、まして他人は普通あんなもんだよ」といちいち納得しながら時間を忘れて見ていた。身につまされる長いオペラだった。
 「変身」がオペラになるとは!普通では考えられないことだ。
 「変身」を観に行く、と言ったら、孫が、あれは読んだけれどわけがわからなかった、と言った。読んだだけ偉い、とほめ、日常的な経験にあれを置き換えれば、大変今日的なテーマを扱っている、という読み方も出来るよ、と付け加えた。老人介護の問題。
 昔、ブレヒト研究者の谷川女史に、『変身』の虫は家族みんなの苦痛の種になっている老人ではないか、と問うたことがある。「ザムザは若いけれど、虫の年齢は書いてないから、家族のお荷物になっているボケ老人と理解することも可能だ」と賛成された。虫は人間より早く年を取る。これは私の都合のよい解釈。以来30年。ようやく、同じような理解を示す台本が出来ていることを知った。あまり嬉しくない「社会現象」だな。こんな解釈をするのは日本人だけかもしれない。
 
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吹矢と私(4-4)

2011-05-14 12:18:41 | ぼやき
4、好きな言葉
 あまりお役に立ちそうもないことばかり、グダグダ申しました。最後に、練習をするたびに思い出す先達の言葉を紹介させてください。一つは、ピアノの世界的巨匠の言葉です。「一日練習しないと、神様にわかる。二日練習しないと自分に分かる。三日練習しないと聴く人にわかる。」恐ろしい言葉です。これが世界的に名声を博した巨匠の言葉だから余計説得力がある。初めての曲を演奏する前には一千回練習する、という巨匠もいます。私は一段1万本を目標にしています(前は1万6千本と計算したのですが、そんなに時間が取れなくなって減らしました。)始めたばかりの新米が何を言うかと笑われそうですが、一段上がるには一万本位吹かなければ実力がつかない、と思っています(六段には別の準備が必要でしょう。)1万本はそんなに難しくありませんよね。6か月たたないと次の段の受験は出来ないのだから、180日練習できる。1日6ラウンドを2回りやれば60本。その位ならちょっと時間を盗めば出来る。6カ月で1万800本。お釣りが来ます。
 だいぶ前の協会会報に四段になられた年配の方の記事が載っていました。週4回毎朝90本吹いている、と。同じ考えの方がおられる、と心強く思いました。
 もう一つは、有名な日本のバレリーナさんのかわいい言葉。「筋肉は忘れん坊。」見たところかわいい(お歳とは思えないほど・・・失礼)踊り手さんですが、言うことはきつい。だから長くトップでいながら毎日8時間練習している。
 私はまだ、腹式呼吸をいい加減にしてしまうことがあります。始めのうちは腹筋が痛くなるほど丁寧にやっていたのですが、ちょっと馴れるとすぐ基礎をなおざりにする。また、時間がないというのを理由に、数をこなそうとしてポンポン吹く。「儀式はちょっと省略」てな気分で。そういうことをしている後の支部練習会では、それがでるらしく、先生にすぐみつかります。「射ちおわってからの残心をもっと丁寧にしなさい」と注意される。怖いものです。
 これからの練習には、新しいテーマを設定しました。点数にこだわらず、リズム良く、1・2の3と吹くこと。私はどうも狙いすぎる。「当てっこをするな」といわれますが、当らなきゃゼロ、という気分だから一生懸命点数を稼ごうとして狙う。筒先の位置を微妙に調整するから時間がかかる。途中で先生に「吹け!」と気合を入れられます。五段の試験の後、先生に「基本動作を注意されなかったか」と聞かれました。私は要領が良いから、試験では早く吹きました。おかげで何も注意されませんでしたが、先生は、私が狙いすぎて吹くのが遅くなるのを心配されたのでした。
 しかし、リズムよく1,2の3と吹くのは難しい。当たらないといやになりますから、つい狙って点数を稼ごうとする。早く、早くとやっては、当分「あれで五段か」と言われそうなメタメタな点数になるでしょうが、悪い癖を為すために少し辛い思いをしようと思っています。もう年ですから、早くとも3年先にならぬと受験できない六段は諦めて、練習記録帳にだけでも六段相当の点数が並ぶよう、これからも精進いたします。
 年寄りの変な自慢話に長時間お付き合い頂き有難うございました。 
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吹矢と私(4の3)

2011-05-11 23:00:59 | ぼやき
3、練習と試験
 ちょっと気恥ずかしいのですが試験の記録を並べてみます(表が上手く出来ませんので見苦しくて申し訳ありません)。

2008.11.5.入会
2008.12. 8. 2級合格 記録紛失
2009. 1.13. 1級合格 記録紛失
2009. 2.14. 初段合格 距離 8m 得点 120点(33,29,31,27)     基準点 100点 試験会場  支部練習場
2009. 9.27. 二段合格 距離 9m 得点 162点(23,27,25,29,27,31)   基準点 150点 試験会場  銀座五丁目試験場
2010. 3.12. 三段合格 距離 10m 得点 164点(21,29,31,25,31,27)  基準点 150点 試験会場 支部練習場
2010.10. 5. 四段合格 距離 10m 得点 164点(21,29,23,31,29,31)  基準点 162点 試験会場 銀座三丁目試験場
2011. 4. 5. 五段合格 距離 10m 得点 174点(23,31,25,33,31,31)  基準点 174点 試験会場 銀座三丁目試験場 

 ノートから拾い出して書きました。久しぶりにみて色々なことに気がつきました。私の個人的経験ですからあまり一般化は出来ませんが、第一に、普段馴れている支部の練習場で受験する場合と銀座の試験場で受験する場合とでは得点に大きな差が出るということ。段位が高くなり、的までの距離が長く、基準点が高くなると、その傾向が顕著になるようです。三段と四段の得点にそれが一番はっきりと出ています。全く同じ得点。違うのは、試験場がいつもの馴れた場所か、やたら緊張する不慣れな銀座の試験場か、ということだけ。点数だけ見ると、三段合格から四段受験までの7か月間全然上達しなかったみたいです。第二に、これは私の欠点ですが、酷いスロー・スターターだということ。二段からその傾向が出ています。第一ラウンドが一番ひどい。四段の21点、五段の23点は特にショックでした。第3ラウンドでまた23点だの25点だのが出た時は、もう駄目だと思いました。何故なら、四段では平均27点、五段では平均29点出さなければ基準点に達しませんから。しかし、あまり低い合計点で終わったのでは、次の受験も駄目になりますから、せめて僅差で落第「惜しいなあ」と言うところまで持っていこうという気持ちになりました。偶然にもその後は高得点が続き、幸いしました。人間あきらめが肝心と言いますが、諦めないことも大事ですね。
 試験には毎回変な思い出があります。初段受験の時は高橋先生と土屋先生が審査員だったのですが、吹いていたら、どちらかの先生が、私のことを「00さんは点数は出すだろうけれど、論文で落ちるのではないか」と言って笑っているのが聞こえました。初段の時は論文も出さねばならないので、それを先生方は言っていたのですね。びっくりしましたが、そんな声が聞こえるのだから、あまり上がっていないな、と少し落ち着きました。それを狙ったショック療法だったのかもしれません。
 二段の時も高橋先生に助けられました。試験の少し前に両目とも白内障の手術をうけ、近間はよく見えるようになって眼鏡がいらなくなったのですが、9メートル先を見るにはやはり眼鏡が必要でした。ところが、試験場で眼鏡ケースを空けたら入ってない。家で練習して、そのまま置き忘れてきてしまったのでした。万事休す。もう駄目だ、と観念した時、高橋先生が試験場に応援に来られました。「眼鏡を忘れてしまいました。もう駄目です」とと申し上げたら、「的の赤い輪は見えますか」と言われました。そのくらいならぼやけてはいるけれど見えました。すると、「赤い輪が見えれば大丈夫、安心なさい」と。いや楽になりました。しかし、困ったことに矢がどこに当たっているか全然見えません。吹き終わって傍に行くまで、どんな具合かわからない。薄氷を踏む思いでした。いやいや、そそっかしいというか間抜けというか、眼鏡を一番必要とするときに忘れていってしまった。これが本当の「めくら玉」ですね。
 何故このような記録をお見せ出来るかと言うと、皆さんもそうでしょうが、私も1級を頂いた頃から毎日の練習を記録してあるからです。
練習会のある日、先生が「点数を記録しなさい」とおっしゃった。記録しないと進歩しない、と。お医者さんは、食事制限をしなくとも毎日体重を記録するだけで2~3キロ減るといいます。体重についてはまだ記録していませんが、吹矢の記録は早速その日から始めました。始めのうちは惨めなもので、ダメダメモウイヤダ、とか、アマリワルクテ記録セズ、などと落書きしてあります。受験する段の基準点に達すると赤丸、だめだとバツを書きます。なかなか基準点に達せず、0勝5敗などとも書いてあります。基準値に達しないのを見ても楽しくありませんから、毎日の練習のなかで最も良い点数のものだけを記録する「その日のベスト」というノートも作りました。「自己満足ノート。」それにもバツはありますが、大体が合格。お回しいたします。これは2冊目です。最初のは目下行方不明。僅か二年でもうどこかに行ってしまった。記録保持というのは難しいですね。しかし、記憶はもっとあやしくなる。良かったことしか覚えていませんから。練習に記録は欠かせませんね。 
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