某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

ライス・カレー

2009-12-31 23:55:15 | ぼやき
 食べ物の話は無限に続きそうだ。
 ライス・カレーは私の一番の好物だった。誕生日のご馳走に何がいいかと毎年母が聞く。きまって、ライス・カレーと叫ぶ。母が呆れて「何かもっとおいしいものにしたら」と言うようになったが、小学6年生まで変更なしだった。ライス・カレー専用の皿があって、ご飯を盛る大きな区画と福神漬けや小粒のラッキョウなどを入れる小区画とがあり、大きなところには、外国人の子供がレシーバーで聞きながら何か英語でしゃべっている絵がプリントされていた。父に何と書いてあるか聞いた。「聞こえる、聞こえる」と言っているのだと。中学生になって、全然別のことを言っているとわかった。気の毒で父には言わなかった。
 ダブリンでアイリッシュの家庭に招かれ、夕食をご馳走になったことがある。夫人が日本人で、幼い子供さんたちと一緒にライス・カレーを頂いた。子供用で辛くなく、私の母が作ったカレーと同じ味だった。「私はカレーが大好きで誕生日にはいつも・・・」と、言いかけて声が詰まった。目までうるんでおかしかったろう。「いいお母さんですね」と夫人が引き取ってくれた。
 恩師の高島善哉先生は岐阜の中地主の出だが、東京に進学して始めてカレーライスを食べ、そのうまさに驚嘆したと言う。先生のお母さんも若くして亡くなった。いつか、先生と二人だけの時、「カレーライス程に滋養のある食事を摂っていたら、母は若死にせずに済んだものを、と思う」とおっしゃった。
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鯊(はぜ)の怨念

2009-12-31 18:19:07 | ぼやき
 おせちの真似事でもと思ってスパーに行った。鯊の佃煮がうまそうだなと見ていたら、ほっぺたがチクリと痛んだ。
 あれは昭和29年の秋、先輩に連れられて鯊釣りに行った。舟に乗って釣ったから良く釣れた。しかし、一匹私の針を飲み込んだ奴がいた。あがると、船宿?で釣ったばかりの鯊を天麩羅にしてくれた。大喜びで食べていたら、ガリッと何かが歯に挟まった。私の針だった。「私の釣った鯊だ」と奇遇にびっくりした。先輩は「二度もやられて、その鯊は恨んでるぞ」と無意味な脅しをかけてきた。全部僕らが釣ったのだから、皆平等に恨まれているはずだ、と反論したが、受け付けてもらえなかった。
 その夜、別の会合があって、遅刻すまいと急いで駆けつけた。汗だくで、顔をハンカチで拭いたらザクッと来た。釣り針がほっぺたに刺さった。

 沙魚釣るや水村山郭酒旗の風  服部嵐雪 
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ひじきと支那竹(メンマ)

2009-12-28 18:10:30 | ぼやき
 防空訓練反対は勇ましかったが寮の食事には参った。寮費が馬鹿安いためか、毎日おかずが「ひじき」の煮物。お陰で、同期の仲間の会は「ひじき会」という。「こじき会?」と聞き返されることがある。貧乏で汚かったな。
 寮委員会では「何故ひじきばかりだ?料理人がアル中で食費を飲んじゃうからだ。くびにしよう」と言うことになった。大学には頼んだが、寮委員が料理人に直接くびを言い渡さねばならなかった。「アル中だから包丁を持って暴れたらどうしよう」と皆腰が引けたが、とにかく「くびだ!」と言って逃げてきた。彼は学内のどこかに配転になって収まった。料理人が変った当座はおかずが良くなったものの、そう長くは続かなかった。料理人のせいではなかったのだ。
 そのころ、国立駅前に初めてラーメンの屋台が出た。バイトの帰りに食べるここのラーメンはうまかった。私はラーメンを食べるたびに「ああ、今日は肉を食った」と喜んでいた。暫くたって、それは支那竹(メンマ)というもので肉ではない、と教えられた。いやがっくりした。
 
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砂浜の足跡

2009-12-28 17:21:34 | ぼやき
 アイルランドの「祈り」にこんな話がある。

 ある男が、砂浜に二人分の足跡が長く続いている夢を見た。それは男がそれまで辿ってきた生涯の足跡だった。4っの足跡が続くのだが、ところどころ一人分の足跡しかないところがある。それは男が辛い目にあった時であった。男は怒る。「キリストさんよ、あんたはいつも一緒に歩いて、俺の苦しい時は助けてくれる筈だったのに、何故そういう時だけ、俺を一人にしたんだ」と。
 キリストは答えて言った「その時、いつも私が貴方を背負って歩いたんだよ」

 日本と違って向こうでは神様も弁解するんだ、と私は感心した。
 今年は私の生涯最悪の年だった。こっちが入院してる時に弟が亡くなった。「成人病」が全部いっせいに見つかった。放射線治療まで始まった。来年2月まで連日朝早く病院に通はねばならない。
 こういうときになると、友達が良くわかる。元気ずけてくれる人、自分の経験を教えてくれる人。有難いことだ。しかし、前には定期的に電話のあった人で、こっちの辛い話が出てきた頃から、ぱったり何も言ってこなくなった人もいる。「困難な時の友が真の友だ」と言われるが、その反対。忙しくて他人のことなどかまっちゃいられない、まして具合の悪い人など、と言うところだろうか。 
 
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ナットウハロック、何これ?

2009-12-28 16:10:16 | スポーツ吹矢の練習
 吹矢絶不調。僅か一週間練習できないでいたら、全然当たらなくなった。それまで、10メートル先の的に30本撃って、悪くても160点くらいだったのが、不調も不調119点まで下がった。合格最低点150点を殆ど出せない。練習会でも不調のまま。仲間に「不調ですな」「何か精神的悩みでもあるんじゃないですか」「女に振られたかな」と散々からかわれた。いつも「うまいだろう」と得意気な顔をしているから、ここぞとばかり仇をとられた。終わってからの飲み会でも「今日は絶不調でしたな」と駄目押しされた。普段、飲み会では吹矢の話はしないのに。「他人の不幸は蜜の味」か。
 練習中に高橋先生が見かねて「一本ずつ、7・10・8・6・9メートルと距離を変えて撃ちなさい。ナットウハロックと覚えると良い」と指示してくださった。初めの5本は難しかったが、次の5本ではかなりほぐれた。それまで10メートルで固まっていたのがほぐれて、当たっても当たらなくても気持ちよく吹けた。
 早速家での練習にもこれをやった。調子よくなって、6メートルから9メートルまでは殆どが中心に当たるようになった。だが、10メートルになるとまだいけない。たった1メートルの違いなのに。「来年中に四段になる」などと忘年会で公言したからバチが当たったのだろう。的に当たればいいのに。
 
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