某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

畏友藤田和巳君逝去

2015-10-09 13:34:17 | 凄い男
 大学同期の友人藤田和巳君が亡くなったと新聞でも知った。86歳。同年だと思っていたが、1歳年上だった。彼は凄い。父親は王子製紙の常務で、彼も王子製紙に入社した。1953年。その前年の4月にはメーデー事件で共に警官のこん棒に殴られて血だらけになり、眼鏡を壊されてうろうろ逃げ回った。だから王子製紙に採用された時は皆で大喜び。私立探偵が会社に依頼されて身辺調査をしているから気を付けろ、と皆でかばって学生運動に彼が近づかないよう注意していた。無事入社した数年後(1958年)有名な王子製紙争議がおこった。1958年7月から12月まで144日の大争議。彼は春日井工場にいて、教宣部長になり、争議のリーダーで大活躍した。幼いおじょうさんが鉢巻をした勇敢な写真などを送ってくれた。しかし、間もなく会社が第二組合を作り、大学卒業者は彼ともう一人を除いて全員第二組合に移ってしまった。争議終結後、彼は大阪支社の庶務課に左遷され、以来何と定年退職まで庶務課の一番下の身分におかれ、豊中市にある会社の寮の管理人をしていた。しかし、第一組合は少数だが残っていたから、彼は最後まで第一組合役員を続け、賃上げその他の交渉を頑張っていた。娘さんは京都の大学で自治会長を務め、息子さんは大阪市大で活躍した。奥さんも上方芸能を支援し雑誌を刊行していた。
 京都の学会に行った時、駅の食堂でばったり出会った事がある。東京の本社でコンピュータ処理の講習があって、初めの出張だと。「出張費がでたからうまいものを食おうと思って」と。庶務課でいつも一番下の給料で全然上がらないから「たまにはⅠ号俸上げろ、と言ったら上がった。だけど翌年から新入社員の給料もがそこから始まったから、とうとう俺より下はだれもいなかった。」と笑っていた。
 これほど露骨ないやがらせを「大会社」がしているとは!それに耐え、第一組合を最後まで支えた。定年で組合員数はへり、多分彼が定年になった頃はもう消滅寸前だったろう。今はもうないかもしれない。最後まで節を曲げず一生を見事に貫いた男。凄い男もいるものだ。
コメント
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